感情を開放する有効な手段のひとつとして
歌がある
オペラや
声楽もいいが、
やっぱり身近で
楽しめるのは
カラオケ
日本のカラオケは
KARAOKE
として海をわたり
一大産業として
世界制覇に成功した
ただ
ジャイアン(大声で音痴という設定)
酔っ払いの人が
歌うと
騒音となる可能性も秘めている。
しかも最近は新コロの飛沫率や
昼カラのクラスター感染などのニュースで
やや
客足が遠のいているようだ
単に感染症の大原則である
三密が避けられれば良いだけだし
換気さえよければ
ということで
早く
スパコン「富岳」で
カラオケの
安全性の測定をして
「マスク」使用のルールも確立して
発表すると
また、産業は復活できるだろう
カラオケは
思いを声にのせて
感情を開放する
たとえ誰かのつくった歌であっても
時に
美しいメロデイ
に載せて
音と合体すると
自身の思いがその世界にそのまま没入する。
あるいは
激しい感情だとすれば
自分の思いの代弁のように
パンチのきいた音
で
自分の感情の代弁となる
結果
みごとに
感情は開放され
一曲が終わるとともに
内面のごちゃごちゃ混乱した
自分の感情はすこし綺麗になって、
それを引きずることなく
歌の終わりとともに
世界はいったん閉じる
だから
カラオケというのは
ヒーリング効果としては
抜群なのである
とくに
懐かしい点は
年代を
タイムスリップできる
1960年代 Beatles
とか
音をたどって
自在に
思い出の世代に
ワープできる
まるで魔法のようだ。
たとえば
今となっては
誰もあまり知らない
「上海帰りのリル」1951年(昭和26年)
当時としては異例の30万枚をこえる大ヒット
映画にもなり
アンサーソングまであり
異常なほどの人気だった
こういう作品がカラオケであると
当時の10歳から30歳くらいの
同世代のひとたちは
(いま80歳から100歳くらい)
たぶん
気分が花やぐのだ。
ノスタルジーとは
そういう
頭の中の片鱗の
思い出とともに
こころや
皮膚感覚や
全身が
鳥肌がたつかのように
しっかりと
時空間がそのときその場の瞬間へと
シフトする
高齢者の趣味というが
音楽療法的に、システムとして
確立していくと
認知症の予防や生きがいなどにもつながって
喜びが広がるかもしれない
日本に一人でも多く
喜んでいる人が増えると
日本全体が明るく軽くなっていくから
それは
子どもたち世代にとっても
幸福なことになる。
誰も
上の世代の人たちの憂鬱で孤独な姿を見たくはない。
自分もそうなるかと恐れると
社会不安にさえなりうる。
だから
世代的に
先を行く人は
つねに自分たちの
いく先をほのかに照らしてくれる
ともしびのような
存在であるほうが嬉しい
80歳以上のダンスチーム
は
たくさんある
100歳のアイリーン・クレーマーさんは
オーストラリアの最高齢ダンサーとして注目を集めた。
この夏に
投資の神様
世界有数の大富豪である
ウォーレン バフェットが90歳にて
ついに日本の株を買うというニュースがはいっていたが
こういう
楽しそうに
人生を謳歌して
活躍する人たちが増えていくと
エイジズム
若いとか
年をとっているとかいうことさえ
そのうち無くなってくるはずである。
もともと日本は
言霊のさきわう国
思いを述べるときには
五七五七七
と
三十一文字で、しめした。
そういった歌語のような美しい言葉をつかう方が、
現実がよくなるからである。
以前『水からの伝言』
水の波動という本が
話題になったことがある。
それは
ありがとう
という言葉だと、水の結晶が綺麗になるという話である。
真偽をめぐっていろいろ言われたが
やはり言葉は美しい方が良い。
たぶん
心の中の
凄まじい感情は
波形が綺麗ではないから、
それをそのまま
声で放出すると
凄まじいままに、宇宙に放たれてしまい、
自分から放ったものは
そのまま
自分にもどってくる
あるいは、ひょっと悪くすると
大きくなって自分に戻ってくるから
愚痴・泣き言など
いらない自分の言葉で
もっと傷つくよりは
うまい方法を考えよう。
たとえば、それにはカラオケで
曲を選んで
歌にのせて
その曲のあいだじゅうは感情を開放して
その
歌がおわったら、
そういう感情もリセットする
綺麗にそこに流す
というのが
良い方法のようだ
KARAOKE文化は
ストレス解消だけではなく
声を出すことによる
健康方法の一環
ロボットと組み合わせて
新しいみんなのうたを教えたりすると
世代間交流にもなるし
新しい歌をおぼえる喜びもでてくる
見守り
健康維持
孤独感の解消など
使いようによって
これからも
未来をひらく重要な機器になりそうなのが
KARAOKE
なのである。
今日もありがとうございました。
パリでは、かなしく恐ろしい事件が起こりました。
自由の授業
教育界にとってはゆゆしき一大事ととらえられています。
哀悼の意を表します
表現の自由というのは言葉の綾で
宗教の冒涜は、禁忌
国家の冒涜も、禁忌
イスラム圏の宗教とかかわるのは、常に命と引き換えということ
『悪魔の詩』を翻訳した筑波大学助教授暗殺事件もあったことをおもいだしました。
一方、コーラン(クルーアン)の翻訳は
出版社にまでお礼の言葉が届き
非常に感謝されたということです
自由と責任はつねに表裏で考えられるようになってきましたが、
自由と倫理、
タブーとはなにか
についてもかんがえる時代に入ってきたようです。
寒くなってきましたね
どうぞご自愛ください。
カラオケの十八番は?
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