俳句といえば
縁側で、お茶でも飲みながら、ほっこり
5・7・5音で
風流に、
ひねって
というイメージである。
昭和の時代を描いた名作
アニメちびまる子ちゃんのおじいちゃんは
「友蔵 心の俳句」
では、
明日こそ 何かいいこと あるだろう
意味のない ことをするのも 人生だ
だまされる 老いぼれじじい ここにあり
など
面白い俳句をひねる。
そのとき画面が、
ぱあっとオレンジ色のような光がさすので、
おそらく
ジイジの頭脳の中で
前頭前野がはたらき
思考することから
インスピレーションが走り、
それが言葉となり
コミュニケーションとして発せられ
それが脳の活性化につながって
思わず
うれしさでドーパミンが出るのだろう。
毎日
四季は移り変わるし
日は新しくなっていくのだから
発見はあるわけで
そうとう
脳トレとして、よさそうである。
俳句は
閃きと発想力というから、
脳を使う点でも
なかなか奥が深い
そして、ちょっと驚いたのは
とうとう
令和の時代にはAI俳句が、かなり高度化しているということだ。
ディープラーニング
開発初期のころの人工知能は、精度が低かったが、
何がどう発展したのか
わからないが、CNNとか、
RNNとかは自然言語
GANは敵対的生成ネットワーク
これは実在しない画像をリアルに生成できる。
悪用厳禁の代物である。
AIは
いまは組み合わせなどによって、かなり高度化している。
人工知能で
囲碁や将棋
チェス
などのゲームを
名人と対戦させる
催しがあるのは知っていたが、
自分が知らぬ間に
AI俳句協会なるものが、設立されている。
しかもなかなか上手に俳句をひねっている。
名人戦ならぬ
俳人との対戦があるのである。
芸術は、もともと
イマジネーションや
創造力の問題
感受性の問題であって、
人の営み
喜びや
人間の苦悩や迷いや
やるせない怒りなど
感情を昇華していくものである。
だから、
ゲーム感覚でAIが
データを収集するというなら良いが
対戦は良いか悪いか、疑問が残るだろう。
これも使い方の問題で、
感受性という
人間の席を、うばうようなやり方をすると
妙なことが起こる気がする。
人々がAIを恐れるのは、
それが人間性を阻害するのではないかという危惧である。
たとえば
AIが人間のかわりに 手伝ってくれるのは
誰がおこなっても同じ結果がでる
データ解析
計算など、これならば
こちらはありがたい。
いろいろな職業がAIに取って代わられるというが
苦役やストレスフルな無意味な作業であれば
それによって精神が病むよりは、よほどいい。
しかしながら人間的な成長や
愛情やコミュニケーションや
癒しがどうなるか、
かつ生きがいとなる働きかどうか
という点に争点がありそうだ。
つまり、
演劇
芸能
芸術という
感性や感情をあつかうものは
生きている人間のほうが、各段に良いと思う。
ロボット社会になると
どうなるのだろう?慣れるのだろうか?
V TUBEも一方ではかなり流行しているから
ヒューマノイドなら良いということなのか
しかし
V TUBEも、それぞれ個性があり
話す速度や人柄(キャラクターの性質),
話し言葉など、位相もあるから
それはそれで楽しいのだろう。
そこに流れる感受性や思想が人間的かつ情緒的ならば
良いのだろうか。
危惧されるのは代替ということで
人間を逆転してしまう
などという現象である。
ロボットに遺産相続をしたり、
お金を必要以上かけてしまったり
人間のさががあるから
なにか
いろいろしそうである。
あのロボット彼女の首のラインがたまらなくセクシーとか。
ロボ女房、気も効くし、料理も上手くて絶対否定してこない、優しい女性だとか
ロボくんが
流し目をした秒数がすごくビビビときた
わたしのロボット彼氏、イケメンな上に
機能性も高いのよ。しかも数学だけじゃなくて、俳句も囲碁も一流。100メートルを9秒台で走るのよん!
と自慢する世の中になるのか。
なにか事情があるなら仕方ないが
対コミュニケーションにおいては
人間が、いろいろ切磋琢磨されて学び成長する可能性が高い。
最初から勝負にならない、
株の取引きなど
一斉に同じ機能のAIが行ったら、
余計熾烈な争いになり、
相場は不自然な動きをしそうだから、戦闘モードにはいりそうだ。
メンテナンスや
故障
誤作動
もあろうから、
さきに倫理規定をもうけて
社会混乱が起きないように
手配すべきであろう。
この種のアイデアは
AIを擬人化しているからで、
開発技術としての試験運用は良いだろうが
実際に芸術を創造させるのは
人類の成長や交流を奪う点で
あまりウエルカムではない。
AIは何のためにあるのか。
その目的は
なににあるのか。
さて、話をもどすと
不思議なことに
日本人は俳句がほぼ誰でも読める。
俳句は
「おーいお茶」のペットボトルで受賞俳句がでているように
参加を指導する学校もあり、
はやければ、幼稚園
小中学校で、日本の義務教育を受けているなら
俳句らしきものを習う。
しかも
感受性ゆたかな子供はかならずいるので、
すばらしい句を読んでしまう。
年代をこえて交流できるもので、
高齢者も得意なジャンルのものである。
楽しい気分と
紙と鉛筆さえあれば
どこでも
俳句の世界へワープできる。
児童と高齢者の両方がつかえる交流センター
世代が離れていても
俳句はよいコミュニケーション・ツールになると思う。
また、うつ病になりそうな人の
悩み事
いじめにあってこまっている人の
解決方法の糸口の示唆
など
俳句でならば
相手に対するさまざまな思い、
罵詈雑言・悪口・憎悪など
ブラックなすさまじい日常語をノートにかきなぐり
それを美しいみやびなことばで
再構成していくと
みごとに
芸術的な表現に変わり
それとともに
なにが悪かったのか
どこに問題があるか
考える起点ともなっていきそうだ。
よほど
役に立つ。
AI技術は
今後
気づかぬうちに
自分たちの周囲を取り囲んでいくだろうが、
俳句の会には、まだまだ
人間あふれる
ネットワーク作りの可能性を秘めている。
むかしから
古池やの
芭蕉は人気者
俳句そのものが好きではない人でも
名作はやはり日本の財産である。
短詩系文学の中で十七文字
和歌(短歌)より短く
自分のみたもの
世界観を語る。
5・7・5
に
世界を凝縮する。
そういう脳の中での事実の再構築は、
むかしながらの日本的手法でありながらも
なお
豊かな発想と
コミュニケーションの幅を広げていきそうなツールである。
連日、猛暑が続きます。
朝夕は空の色が、夏空からすこし秋の気配に変わってきてますが
どうぞお体をお大切になさって、おすごしください。
水難事故にもご注意ください。
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