新コロナウイルス時代が到来して、マスクがファッションと化す。マスク業界は、服の色やカバンの色、靴の色と合わせて、新しいムーブメントをつくるだろう。神棚に大切に飾られているアベノマスクに始まり、ガーゼマスク、水着マスク、下着マスク、シャツマスク、ゆかたマスクとなんでもあれである。清潔好きの日本人はますます日本人らしさを取り戻し、身を清め続けるはずだ。感染症対策のために顔を覆うというファッションも増えるかもしれない。紫外線と熱中症と両方が必要かもしれないが、街の風景は様変わりするだろう。新しもの好きな人たちは、この新コロ時代ファッションを涼やかに着こなすことだろう。

 

また、転売ヤーという不届きな職業が跋扈して、心を暗くする話題とは真逆に、手先の器用な日本人がどんどん手作りマスクを作り始めたのは実に喜ばしく頼もしいことであった。どのように作れば簡単か、連日YouTubeにも簡易マスク作成方法がアップされるなど、不足するゆえ自ら作る、自分のを買い占めるという考えとは逆のすばらしい国民性である。日本人を心より称えたい。妃(ひめ)という名前の清らかな女子中学生が、一枚ずつ手作りをして、600枚以上山梨県に寄付したのも印象的な話題である。

 

物事には裏面、表面があって、かならずしも悪いことばかりではないようだ。

 

テレワークは続き、まだシステムの整わない給付金のオンライン申請は混乱の極みであるが、社会構造は確実にその方向性へと動いている。実際一システムに頼ると、危うい。ちょっとした回線不備でも、大混乱や大惨事を招くという脆弱さもある。しかし、鼎の脚のように社会のすべての面に自給自足的な自立のシステムを複線として張っておくという安全策を考える必要はありそうだ。それには国民性の良識ある自主性や、ルール意識があると国は安泰ともいえる。

 

実際、国難であり、こうしたときは、じっと耐えるほかはない。来年がよくなるかどうかなど、誰にもわからない。継続的な努力は誰にも必要だろう。しかしながら、ただ耐えるのでは、大変なので、心豊かに時を過ごすのが良いようである。その時間に人は、進化しつづけているのだ。行動は外へ向かう時間であるが、自粛生活は内面を鍛える時間である。耐える時間の合間にマスクを縫ったり、医療関係者に拍手を贈ったり、日ごろ時間がとれない英会話のレッスンをしたり、オンラインサロンで学びを深めたり、感染症対策を身近なところから学ぼはじめたり、静かに読書したり、床みがきなどの掃除をしたりする。自由な時間でもある。絵をかいたり、歌をうたったり、新しい振付を考えたり、ダイエットをしたり、実に心がけ次第で何でもできることに気づく。全く日常が変わらない人もいれば、逆に仕事が増加して、仕事三昧の人もいる。配達業、人と人とをつなぐのが、ネット回線か配達の業者さんなのである。

 

 まさに日常生活の基本や基盤を問われているようなノアの箱舟である。私たちは、日常の中に潜んでいたささやかな幸福に気づかなければならない。また、Stay at homeで、家庭の役割、家族の役割、愛と思いやりなど、本当に人としての幸福に気づかなければならない。つらい時こそ、いつもの二倍の思いやりが必要だろう。

優しさは優しさを循環させる。ともに過ごすことの大切さ、朝食から母(あるいは父)のきざむ包丁のリズミカルな音を聞きながら、まどろみ、そして起こされる、そうした信頼関係、日常の規則正しい生活、早寝早起き朝ごはん、その正しさこそが、今の時代の王道を行くことのような気がする。