
💧十三駅です!読み方は「じゅうさん」じゃなくて「じゅうそう」ですよ!
十三、の由来はかつてここを流れていた中津川の渡しが上流から数えて13番目の渡しだからと言われています(諸説あり)

💧神津神社です!
神津神社の創建は戦国時代と思われるが不明。名前の由来は明治時代に成立した中津村(1922年に町に昇格、1925年に大阪市(東淀川区、1974年に淀川区に移籍)に編入)につながる

忠魂碑
ここから徴兵された人達は歩兵第8連隊に所属したのだろうか

御朱印

💧崇禅寺駅です!(すうぜんじ)じゃなくて(そうぜんじ)と読みます!

💧崇禅寺です!
駅名の由来となった寺院。創建は奈良時代。本尊は最澄(767〜822)が作ったとされる(最澄は天台宗開祖だが崇禅寺は曹洞宗の寺院)釈迦如来坐像。室町時代に戦火で焼失するが江戸時代に再建。しかし1945年6月の大阪空襲で再び焼失。現在の伽藍は1989年に再建されたもの

(右)足利義教の墓
足利義教(1394〜1441)は室町幕府6代将軍だが若い頃は僧として青蓮院に入室。5代将軍の義量(よしかず 1407〜25)が若くして死ぬと父の4代将軍.義持(1386〜1428)は存命でしたが子は彼以外無く義持は後継者を指名せず死去。幕府幹部は僧籍にいた義持の3人の弟からくじ引きで選ぶという前代未聞の方法で後継者を選びました。結果青蓮院にいた義円(当時)が当選し還俗したうえで義宣、次いで義教と名乗りました。義教は還俗将軍と自らを軽視していた鎌倉公方の足利持氏(1398〜1439)を討伐。彼と結んだと比叡山延暦寺を攻撃するなど強権的な態度を取り「万人恐怖」と恐れられました。
嘉吉元年(1441)、守護大名赤松満祐が京の義教を襲撃(嘉吉の乱)し暗殺。満祐は義教の首をはね逃走。しかしその途中彼は首をここに放置。満祐討伐後ここを義教の菩提寺とした。
(左)細川ガラシャの墓
細川ガラシャ(1563〜1600)は細川忠興の正室。ガラシャは洗礼名で実名は玉子、父は明智光秀。忠興が徳川家康と共に上杉景勝討伐に出陣すると石田三成が挙兵。三成は大坂にいた大名の妻子を人質に取ろうとしました。ガラシャは自害を選ぼうとするがキリスト教は自害を認めていないため家臣に刺殺させて亡くなり屋敷に火を放ちました。戦後細川家菩提寺の崇禅寺に葬られた

遠城兄弟の墓
正徳5年(1715)、大和郡山藩士の遠城重次が同僚の生田伝八郎に殺害された。兄の重広と安藤光乗は仇討ちのため伝八郎を討とうとするも彼は行方不明になっていた。伝八郎が大坂にいることをつかんだ遠城兄弟は大坂に行き生国魂神社に参拝しているとたまたま伝八郎に出くわした。弟の仇として討とうとするが伝八郎はここは神社、神域だから血を流すのはまずい。日と場所を改めて果たし合いに応じる(敵討は基本的に士分が対象で奉行所に届けるなど形式が細かい。対象も父母などの尊属に限られた。無許可でやると調査され仇討ちと認められないと殺人として罰せられる)として場所を崇禅寺門前に指定した。普通なら2対1で不利だが彼は仲間を隠しており果たし合いが始まるなり彼らが助太刀し遠城兄弟は返り討ちに遭った。その後伝八郎も切腹を遂げている
勝見宗春墓
