病院に肺がんの末期で入院している患者Sさん(仮名)。
Sさんは身寄りがありませんでした。
腹水や胸水がたまり、労作時の息切れがひどくベッドで横になっていることが多かったです。
食事は少量しかとれずやせ細っていきました。
時々苦悶表情をみせ、傍から見るととても苦しそうなのに「苦しい。」や「辛い」「痛い」と言った弱音ははかず、じっと一人で耐えていました。
私は身体を拭いたり、トイレ介助したり、一生懸命日常生活の手伝いをさせてもらいました。Sさんにいろいろ話しかけたが、自分のことはほとんど話そうとしませんでした。
私が夜勤の時に、急変が起きました。
訪室すると冷や汗をかき、呼吸を乱し、苦しそうに眉をひそめベッドの上にうずくまっています。
それでもSさんは苦しいとは言いませんでした。
ただ「寂しい。」と言ったのです。
私はSさんを抱きしめました。
かけれる言葉は何もありませんでした。
1時間ぐらい抱きしめていました。
すると患者さんが涙を流し、大きくうなずいたのです。
私には「ありがとう」と言ったように見えました。
それから静かに息を引き取りました。
最期の最期に心が通じた気がしました。
その患者さんに笑いは与えられませんでしたが、癒しは与えられたのかなと思いました。
私は、言葉に頼らず気持ちで患者さんを癒せるような笑い療法士になりたいと思いました。
主役は患者さんやまわりの人たちであって、笑い療法士はその人たちの後ろからぽんっと背中を押してあげるわき役なんだと考えます。
理由は人生とはその人のものであって、他人が変えようと思っても変えられるものではなくそんな考えは大きなお世話だからです。
無理に笑わせようとするのではなく、笑いを引き出すこと。
それが本当に必要なことなんだと思います。
人は誰でも笑えるはずなのに、ストレスやいろんな悩みが笑いを押し込んでしまっています。
それを解放する手助けができたらいいなと考えます。