毎週日曜日の朝は とてつもなく早起きだった

毎週日曜日の朝は 日差しを毛布で遮っていた

毎週日曜日の朝は ハイエースで過ごしていた

 

僕がオートバイレースをやっていた頃

毎週日曜日の朝は

父がサーキット会場まで運転してくれていた

 

僕がまだ免許持てない年齢だったのもあるけど

当然のように毎週 僕は助手席を指定席とし

道中の見慣れた景色を寝ぼけながら眺めていた

 

オートバイレースには勝ち負けがある

助手席と運転席

僕と父 の間には時に様々な空気が流れた

 

例えばレース後の帰り道

勝った時は軽く 会話は弾むようで

負けた時は重く 言葉も沈むようで

心身の疲れをも忘れたかのように会話に熱中する事もあれば

自分の不甲斐なさ申し訳なさに逃げ出したくなる時もあって

それでも 親子の帰る家は一つだったから

寒くもないのに 毛布にくるまったりして

 

嬉しい会話も悔しい反省も

激しい口論も苦しい沈黙も

全部 僕ら親子はハイエースの中で経験した

 

そんな僕の父は先日 足を大怪我した

 

職場での事故で 父が片足の踵を粉砕骨折した事を僕が知ったのはバンドの遠征から帰ってきてからだった

自室に居たのは 片足の痛々しいギブス以外は普段と何ら変わらない父だったが

怪我のせいか やはり何処か弱っているように僕の目には映った

 

リビングに戻ると 母は僕に「明日病院まで車で送って行って欲しい」と言った

 

翌日 僕は普段滅多に乗る機会の無いハイエースのハンドルを握った

実家のハイエース とても不思議な感覚だった

後部座席にはスウェット姿の父と松葉杖を抱える母

以前に両親を乗せて運転した事が無かった訳では無いのだけど

でも何故かその時に初めて、

レースをやっていた頃のハイエースの道中を思い出した

 

診断の結果 短期ではあるが手術入院する事になった

今は無事手術も終わり退院したが 僕はその時バンドのワンマンライブを控えていた事もあり 結局一度も病室に顔を出す事は出来なかった

 

職場から最寄りの病院へ入院した為

母は長い道中を電車で何度も通った

ある日 病室でボソッと

「バンド、売れるんかなあ」

とこぼす父の言葉を母は聞いたという

 

 

 

親孝行はしたい

でも心の何処かで 頑張る理由の一番は自分の夢や願望の為

自分がやりたいからやってる

自分の人生は自分で決める

そして自分で責任取る そう思っていた

 

でもあの時

ハイエースのハンドルを握った時

弱っている父の姿を見た時

母からの話を聞いた時

 

今の自分を育て上げてくれた親の為に

死ぬ気で頑張りたい 改めて心からそう思えた

 

 

大怪我した父の姿を見るまで そんな大切な事さえも忘れかけてしまうような未だ馬鹿で未熟な僕だが そんな僕にしか歌えない唄が 言えない言葉が必ずある

 

あの時 僕らの夢や希望を乗せていたハイエースはまだ僕の心の中で走り続けているし そのガソリンが切れない限り これからもずっと走り続けると信じている

 

そして

幸いハイエースは大型車です

あなたの事も乗せて行けます

良ければ乗っていって欲しい

 

これからも宜しくお願いします

 

2009.7.29撮影

 

 

 

 

p.s.

当時 助手席で好きな音楽流して父に聴かせるのも楽しみの一つでした

またいつの日か ハイエースで父と共に

こんな日曜の朝にお似合いな自分の曲を流してドライブしたい

...なんて思っている事は秘密です