今日は母の1周忌だった。思えば、今日の午後9時ぐらいに父親から電話があった。
その瞬間、直感で良くない電話だと悟ったが、まさか余命当日から3日という唐突な
電話だとは思わなかった。
それからほぼ予告通り、1/20の午前2時45分に静かに息を引き取った。「静かに息を
引き取る」ということは、まさにそのことなのだと体験した瞬間だった。
まあ、16年もガンと闘ってきた母親も、最後は抗がん剤も効かなくなり、手の施しようが
ない状態になってしまった。
ただ、緊急入院したのは1/17の午後だったが、その日の朝、いつも以上に息苦しさを
訴え、午前中家事をして昼食をとり、午後に病院に行ったら即入院といわれ、本人には
真実を告げなかったが、肺がんの末期とのことで、余命当日から3日という、信じられない
余命宣告を受けたのだ。俺ら家族も余りにも急な宣告で、ショックは果てしなく大きかった。
母の気力は尋常ではなかった。これまでガンの再発で何度も手術をしてきたが、普通なら
辛くて寝込むのに、俺の母親は手術の翌日から歩き回まり、抗がん剤で気持ちが悪くても
食べれば回復するという信念で、食欲がなくてもしっかり食べたとのことだ。
さらに亡くなる日の午前中まで人工呼吸器を外して、自力でトイレに行ったらしい。
俺ら家族は1/19の午後から面会をしたが、その時は前日から容態は大きく変わっていて、
意識も肺がんの末期でモルヒネを処方しているため、かなりもうろうとしていた。
日付が変わった1/20には、呼びかけにも反応しなくなり、遂に午前2時半に急に呼吸の
間隔が長くなり、2時45分に消え入るように呼吸が止まったのだ。。。
看取っている俺らは、非常に苦しそうに見えたが、本人はモルヒネのおかげで、苦しくないと
言っていたのが、せめてもの救いだった。
まさか、本人も急死するとは思っていなかっただろうから、緊急入院した時も、あれこれ用意
しろと俺の父親に言っていた。
今日の1周忌の会食で、俺の父親の姉兄、母親の妹・親戚が来たが、口を揃えて言って
いたのは、完璧主義のように家事をしっかりやっていたことだ。
確かに長年のガンとの闘病においても、病人とは思えないぐらい家事をしっかりやっていた。
だから緊急入院するその日も、息苦しくても午前中は家事をしていたのだ。
抗がん剤で食欲がない時でも何とか食事をし、調子が悪くても動き回り、極力普段の生活を
維持しようとしてきた意識が、16年中10回ぐらいの再発手術を乗り越え、やせ細ることなく
健康っぽい表情で亡くなったのだと思っている。
亡くなった母親は、都内のそれなりのお嬢様学校を卒業して、それなりの大手企業に就職したが、
かなり陽気な性格で、けっこうバカっぽいところもあった。(笑
ただ、俺のダメ妻と違って、母親のバカっぽさはウケ狙いの面が強く、ダメ妻のバカとは
明らかに次元が違う。いわゆるムードメーカー的な存在だったのだ。
1周忌後の会食時、俺の子供が母の遺影の前に瓶ビールを置いた。(笑
みんな笑っていた。母はビールが好きだった。
晩年は痛み止めの麻薬のせいで、アルコ-ルが飲めなかったらしい。
今なら気にすることなく、大好きだったビールを思う存分飲めることだろう。
ただ、母もいくら16年間のガンとの闘病だったとはいえ、60代の若さでなくなって
しまったのは余りに早すぎる。風邪などで寝込んでこたことは一度も見たことがないぐらい
健康だったのに、ガンだけはさすがに勝てなかった。
このブログを見ている人も、風邪などの症状は近所の医者で十分だが、内科的な痛みや
違和感がある場合は、大きい病院で検査した方がいいと思います。
それだけは、俺の母親を見て確信をしたのである。