「花束みたいな恋をした」感想募集係 御中

 

愛知県在住

ラジオネーム 小平次

 

みなさん、こんにちは。久しぶりにメールします。

きっと取り上げられると思い、勝手に感想を送ります。

 

『花束みたいな恋をした』は私にとって、純粋に映画として楽しむことのできない作品でした。

 

なぜなら、あまりにも対象が自分に近すぎるからです。京王線沿線、しかも明大前で学生時代を過ごした私にとっては、映画に出てくる風景が見慣れたものばかりで、本当に自分の話なのではないかと思い、冷静に観ることができませんでした。

 

サブカル好き、地方出身、フリーター、夢と挫折・・・ルックスが菅田将暉に似ていないことと、有村架純のような彼女がいなかったことを除けば、まさにそれは私の青春そのものでした。

 

特に、社会人になった菅田将暉が、仕事のストレスで、今までのように映画や小説を楽しめなくなり、パズドラをするシーンには、今の自分を重ね、胸が熱くなりました。

 

そのような個人的な感情を抜きすれば、よかった点が1つと気になった点が3つ。

 

よかった点は、ラストのファミレスでの菅田将暉の“プロポーズ”。

男だったら、あの場面で絶対みんな同じようなことを言うと思います。私は、自分が言いそうなことを菅田将暉がしゃべりだしたので、驚きました。このみじめな“プロポーズ”に、この映画のすべてがあると言ってもいいような気がします。

 

続いて気になった点

ひとつめは、二人のサブカル趣味が“いかにも”であること。脚本の坂元裕二は、自分の趣味ではなく、リサーチで書いたとインタビューに答えていましたが、数え役満みたいなサブカル趣味が少々鼻に付きました。

 

二つめは、有村架純の両親に代表されるような“社会”の描き方が薄っぺらいこと。岩松了演じる有村架純の父(広告代理店勤務)が「今、オリンピックに関わってるんだよ~」というシーンには、失笑しました。

夢と現実に折り合いをつけるというテーマでは、同じく菅田将暉、有村架純出演の『何者』の方が、もう少し誠実に描いていたのではないでしょうか。

 

最後は、限りなく個人的な偏見ですが、菅田将暉のようなサブカル男子は実在しても、有村架純のようなサブカル女子は実在しないということ。異論は認めます。

 

全体的には、坂元裕二の脚本は、やはり映画向きではないと思います。うまく説明はできませんが、ポジティブに言い換えるなら、この物語を12話の連ドラで観てみたいと思いました。

 

最後になりますが、もし、二人が生活のための労働に追われなくて済んだら、あるいは、菅田将暉のイラストレーターになるという夢がうまくいっていたら、二人の関係はどうなっていたでしょうか。

恋愛経験豊富な皆さんの意見をお聞きしたいです。

 

別れた後の二人の新しい恋人が、どちらもいまいちパッとしないところがなんとも言えません。

 

スケッチブック風のパンフレットが素敵でした。

 

以上です。

 

<追伸>

この映画は当初、女の子と観に行く予定だったのですが、緊急事態宣言のため、泣く泣くソロ鑑賞しました。苦行でした。そして私も、いよいよ29歳になります。祝福してください。