荒井晴彦“脚本”監督、柄本佑、瀧内公美主演『火口のふたり』を観てきた。

原作は直木賞作家の白石一文(同じく直木賞作家の白石一郎の息子)。企画は元文部官僚で、ゆとり教育で有名な寺脇研!(根岸吉太郎・荒井と交流があるようだ)。

 

以下、ネタバレ。

柄本佑と瀧内公美は5歳差の従兄弟同士だが、20代の頃関係を持っており、瀧内は柄本を追って上京していた。しかし、柄本は瀧内との関係にやましさを感じており、他の女性と関係を持つ。瀧内はそれを感じ、東京での保育士の就職を蹴って、地元の秋田に戻る。

 

その後、上記の女性との間に子どもを宿した柄本は結婚。しかし、自身の浮気がバレて離婚。現在は東京でプータロー生活を送っている。そこへ瀧内から結婚式への招待があり、柄本は帰省する。ちなみに柄本の父役は声だけの出演だが、実父の柄本明。

 

柄本の母はすでに死んでおり、父は母の死後、1年で再婚。再婚相手は、母の闘病中からの浮気相手と噂されている(血は争えない?)。瀧内と再会した柄本は、彼女の引っ越しを手手伝わされた挙句、夫のいない新居で執拗に誘われ、事に至る。火のついた柄本は翌日も彼女の家を訪れ、彼女を犯す。

 

2人は東京時代に、いわゆるハメ撮り写真を何枚も撮っており、彼女はそれをアルバムにして今でも持っていた。瀧内から誘ったにもかかわらず、彼女は「今夜だけ」と言ったじゃないと柄本に言う。最初はそんなこと言ってなかったのに、女は怖い。男からしたら、そりゃ無責任だ。車が急に止まれないのと一緒。

 

だが、なんだかんだ結局は自衛隊員の夫が出張から帰るまでの間、同棲することになる。

瀧内は、結婚の理由を「子どもが欲しくなったから」と言い、柄本はそれを不純な動機だと言う。

原作ではどうやら「俺はそういう子宮がでしゃばるような結婚はイヤだな」となっているようが(白石一文『あの頃の「火口のふたり」』)、映画ではそこまでは言っていない。しかし、ここは変えないで欲しかった。自分の感覚では、子どもが欲しいから結婚する女性の気持ちは、男にも理解できる。なぜなら、男も同様の理由で結婚する人が多いから。

しかし、女性の子宮感覚に嫌悪感を抱く男は、私を含め結構いると思われる。なぜなら、それは男にはない感覚であり、それゆえの気味悪さを感じるからだ。

けれども柄本は、「自分は子どもがいるクセに」と瀧内に責められる。彼女は子宮筋腫が見つかったため、出産を急いでいたのだ。自衛隊員の夫は40歳初婚の、防大出のエリート。

 

タイトルの意味は、富士山の火口。東京時代、柄本は部屋に富士山の火口のポスターを貼っていた。ある日、深夜に呼び出された瀧内はこのポスターを背景に柄本と裸の写真を撮る。柄本はこの火口に飛び込んで、2人で心中しようと言った。それは柄本が後の妻と初めて身体を交えた日の夜だった。

 

瀧内はそれも全て察しており、柄本から逃れるために東京を離れた。物理的に離れなければ、柄本への欲望を理性では制御できないと思ったから。でも、もう少し自分の“身体の言い分”を聞いてあげれば良かったと瀧内は言う。どうせあなたの結婚がうまくいかないことはわかっていたし、と。だけど、若き日の彼女は、自分の身体に歯止めが効かなくなることを何よりも恐れていた。

 

約束の期日、瀧内は柄本をホテルに残し、現実に帰って行く。柄本はご当地名物ババヘラアイスを食べ終えると、結婚式の招待状をゴミ箱に捨てる。しかし、翌日、瀧内の結婚式が延期になったとの連絡が来る。

 

瀧内の自宅を訪ね、事情を聞くと、夫に特別任務が入ったとのこと。しかも、それは富士山の噴火であると彼女は言う。瀧内は夫のPCのパスワードを「坂の上の雲」と推測し、勝手に情報を得ていたのだが、柄本に「特定秘密保護法違反だぞ」と突っ込まれるシーンは、客席でも一番ウケていた。

でも、この法律って安倍政権で成立したものなので、荒井の本心としては、ギャグではなく批判だったのだろう(今、気づいた)。

 

そして、ここから話は一気にシン・ゴジラのようになって行く。瀧内は結婚をやめる決心をする。

最後のシーンで、瀧内に何かやりたいことはないのかと聞かれた柄本は、次のようなことを答える。

 

やりたいことは特にない。ただ今は、おまえとセックスをしたい。それが自分の身体の言い分から、と。

 

背景は風力発電が立ち並ぶ海岸。そこで2人が原発の話をするのが印象的。そもそも冒頭で瀧内の結婚の連絡を受ける場所は、武蔵小杉のタワマンの見える多摩川の川岸。瀧内の結婚の動機にも震災の話が出てきており、世相を大きく取り入れている。

 

2人が散策する秋田の街中には意図的に「イージス・アショア配置反対」立て看板が写し出されている。瀧内が震災の話をするときに津波と放射能が同列に出てくるところにも政治性を感じる。

 

結局、気の進まない結婚でも子どもができれば、女性は昔の男など忘れて、現実的になり、過去を引きずり感傷的になるのは男だけかという結末かと思ったが、どんでん返しの結末。震災と富士山の噴火が出てくると割とお腹いっぱいになる。

 

下田逸郎の手による挿入歌は『海を感じる時』同様に退屈な映画への良いアクセントになっている。

 

なお、この映画パンフレットは発売されておらず、野村佐紀子の写真と白石一文の文によるフォトストーリーブックが販売されている。

 

 

 

※「愛とSEX」特集ということで、本作が取り上げられている。