★★☆☆☆

 

本谷有希子原作、趣里、菅田将暉主演の『生きてるだけで、愛。』を最終上映で観てきた。

平日のレイトショーだというのに、半分近くの席が埋まっており、特に若い女性客が多かった。菅田将暉のファンなのだろうか。

監督は、映像作家の関根光才。劇映画としては、本作がデビュー作だが、ドキュメンタリー映画である『太陽の塔』も今年公開されている。

 

主人公の過眠症や鬱描写には、共感できるものがあった。特に、頑張ろうと思ったときに、不運なことが立て続けに起きたり、スーパーで物が選べなかったり。私の経験から言っても、鬱状態のときというのは買い物ができない。物が選べなくなるのだ。

 

趣里(水谷豊と伊藤蘭の娘)は上手い。決して美人ではないが、見ているうちに可愛く見えてくるのかと思ったら、それを上回る憎たらしい演技。完全に、色々なものを捨てていて驚いた。

蒼井優でも、あの演技はできない。他にも、もっと美人で、この役を演じられる女優はいないかと考えてみたが、眉毛や髪を剃れて、全裸になれる女優はパッとは思いつかない。

彼女の演技を見ていると、二階堂ふみや橋本愛なんて所詮は可愛いだけの女優に見えてくる。門脇麦ならやるかもしれないが、彼女ではちょっとイメージが合わない。

 

もしルックスの良い女優が演じていれば、かわいそうに・・・と同情できるのだが、どうしても、わがままで、できれば関わりたくないという女にしか見えず、最後まで感情移入させてもらえなかった。

見せ場である最後の屋上のシーンでも、私が菅田将暉だったら、たぶん平手打ちしていただろう。

しかし、津奈木(=菅田将暉)は、主人公を抱きしめる。懐がデカすぎる。彼なしでは、彼女は決して成り立たないだろう。そこが唯一の疑問点で、結局は彼に甘えているだけなのでは?と思ってしまう。

 

原作小説は、学生時代に読んだはずなのだが、記憶がない。本谷有希子は、芝居は面白いが、小説になるといまいちピンと来ないという印象。

舞台『遭難、』の再演を観たときは、こんなに面白い劇作家がいたのか、と驚いた。“暗くて重い三谷幸喜”というか、テーマのわりに意外とウェルメイドで、驚いた記憶がある。

 

しかし、小説になると、文学的になり、しまりがなくなって退屈になってしまう。

とはいえ、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の映画版(吉田大八の初監督作)は大傑作で、笑える。

 

本作も、構成はよく考えられて面白い。冒頭、主人公の自堕落な生活、鬱の苦しさ、希望のない毎日といったヘビーな描写で落としておいて、途中、仲里依紗が登場し、バイトを始めるあたりから、笑いが起き始める。

このあたりが本谷有希子の人気の理由だろう。なんとなく本谷有希子という作家の本質がわかってきた気がする。普段の私なら、なじみのない世界(=ジャンル)の作家である。

 

普通なら、ここで主人公が、バイト先の店長やバイト仲間の優しさに触れ、“人の心”を取り戻して、社会復帰をしていくのだろうが、さすがは純文学、そうはならない。

 

またしても主人公は、関係を築けずに、せっかくの機会を棒に振ってしまう。

そして、クライマックスで、主人公は、店を飛び出し、夜の街を駆け出していく。着ている服を一枚一枚脱ぎながら。そこへ会社をクビになった菅田将暉が通りかかり、それを拾いながら追いかける。可笑しなシーンである。

 

彼女は、鬱状態を脱し、躁になってしまったのだ。

思い出してみれば、菅田将暉が主人公に惚れたのは、酔っぱらった主人公の走り出した姿を見たことがきっかけだった。

屋上で全裸になる主人公。しかし、いやらしさはない。

そして、本谷有希子お得意の―――主人公の自分語りが始まるのだ。

 

それにしも菅田将暉。20代半ばにして、もう完成されている。次々と主演映画に抜擢されるのもよくわかる。この若さでこんな俳優、他にいないのだ。

野村周平でもいいのだが、やはり菅田将暉のほうが、華のある顔をしている。

 

『生きてるだけで、愛。』というタイトルは、主人公の台詞から。

「私って、生きてるだけでなんでこんなに疲れるんだろう・・・」

 

もうひとつのキーとなる台詞としては、

「いいよな、津奈木は、私と別れることができて。私は、私とは別れられないんだよ」

というもの。

 

16mmフィルムで撮ったという映像は、ざらついた質感がとても綺麗だった。

音楽及びエンディングテーマを担当した世武裕子も素晴らしい。

 

主人公と津奈木の理屈っぽい噛み合わない会話は、いかにも舞台っぽいと感じた。

 

 

遭難、 遭難、
1,404円
Amazon