実は親戚が西日本豪雨で被災しました。

目の見えない叔父を最後まで連れ添ってくれた
優しいクリスチャンの女性。

今はシルバーカーでした移動ができないところまで来ていたのを今回知りました。

小さい時、目の見えない叔父に寄り添い
まばゆいばかりの美しさでウエディングドレスを着て幸せそうにしていた姿にショックを受けたのを覚えています。

それは叔母があまりに美しく、どうして障害者の
叔父と結婚してくれたのか幼心に理解できなかったのかもしれません。

母はそんな2人を見て喜ぶどころか"苦労知らずの人なんだから'とブツブツ言っていました。

私はなんでそんなことを言うのか大人の世界にショックを受けたのを覚えています。


8年前に叔父が亡くなるまで叔母は添い遂げてくれました。

また、子供たちは色々苦労をしたり、結婚生活も大変で優しい叔母はいつも人に尽くしている生活だったと思います。

母は最後はいろんな場面で生活のお金の工面をしたりといつも心配ばかりで人生を楽しみことができない人生でもありました。


兄が盲目、弟はニューヨークに行きエイズでなくなり、妹は嫁ぐ事はなく母の生活には重荷の存在になっていきました。

なんかわかりませんが8月の終戦記念日が近づくたびに私はなんか父や母の戦争を知る世代の方々の時代にタイムスリップしてしまいます

本能的に戦争の持つ人間のエゴやヘイトに対する恐怖なのかも知れません

人はどうして目の前に見える人の弱さに漬け込んだ権力やお金や権威などに夢中になるのでしょうか。

この異常気象もその現れの一つだと思います。
お互いを一つの価値観で縛ろうとするのでしょうか。みんな違うから素敵なのですよね。


原則さえ理解できていればあとは自由でよいとは思います。

叔母を最後まで叔父の嫁としてふさわしくないと思いを突き通した母。

障害者は障害者と一緒になれば良いと考えたその心の底には少しだけジェラシーのようなものがあったかもしれません。

"戦後生きていくことが大変だったため家族の為に医者だった父と結婚したのよ。自分だけが犠牲になった。だからあなたはどうして家族の為に犠牲になれないのか"

と言われて続けてその思考から逃げるように単身ニューヨークに行った、そんなことの全てを叔母が思い出させてくれました。

母が逝ってから4年になります。

叔母は数少ない家族。

早く逢い戻りたいと心から思いました。

広島で多くの方々を助けて下さっている
自衛隊、消防、警察、ボランティアの皆様本当にありがとうございます。
またまだまだ西日本の各所で孤立化してしまっている場所に救済に行った下さっている皆様に
心からの敬意を持ちで一般です。

私は今は支援金を送る事で少しでもお役に立てればと思います。

あ、、!自分に本当の力やエネルギーをお役にたてれるようになりたい。

広島島三原市、7月8日