17年前の冬。


センター試験の会場に向けて歩いた高校3年生の景色を今もよく覚えている。


雪がちらつく大学のキャンパスを、ひとり、空っぽの気持ちで歩いた、あの景色。一緒に歩くクラスメートたちは、緊張しつつも、みんな"希望"に満ち溢れて力強く歩いているように見えた。だけど私だけは、ただただ虚しかった。受ける前から"記念受験"だと分かっていたから。


センター試験の2ヶ月前に両親が突然離婚。長年暮らした家を出て、母親の実家に身を寄せた。大学進学はもとより、暮らす家を失い、明日の生活にすら不安を抱える家庭環境に陥った。母がかけてくれていた学資保険は、気が付いた時には全て父が使い果たしていた。


だから、

センター試験なんて受ける意味は無かった。みんなと同じように大学進学なんてできないと分かっていたから。むしろ当時は、最後まで高校に通えるかどうかすら危うい状況だった。だけど、新学校だった高校側の強い意向で、センター試験だけは受けたのだ。


緊張に押し潰されそうであっても、友達が羨ましかった。"希望"を持ってセンター試験にチャレンジできる友達が、心の底から羨ましかった。


「人生は思うようにいかない」と、強く強く心に刻んだ18歳の記憶。センター試験の時期になると、今でも、あの記憶が蘇る。苦くて苦くて苦すぎる記憶。


幸いなことに、


高校の卒業間際になって、母が『短大くらいは出してあげたい』と言ってくれた。ぼろぼろの精神に鞭打って働いてくれた母のおかげで、私は地元の短大で学ぶことができた。母には感謝の言葉しかない。


だけど、高校時代の友達とは疎遠になってしまった。


県外の四年制大学で、生き生きとキャンパスライフを謳歌する友人たちの話を、風の噂で聞くたびに、胸が押し潰されそうになったのだ。悲しくて惨めになった。いつの間にか卑屈になって、高校時代の友達を避けるようになり、自分から疎遠になってしまった。


社会に出てからは、就職活動や雇用条件など、さまざまなシーンで四大卒でないハンデがまとわりついてきた。ハングリー精神を胸になんとか巻き返したが、21世紀になっても学歴社会に変化はない。


"悔しくてもこれが私の人生だ"と、心のどこかで諦めていた。


だけど、ある日、私にチャンスが巡ってきた。


それは、今はもう別れてしまった彼女との出会いだ。彼女との出会いによって人生が思いもよらない方向に進み出したのだ。


出会ったばかりの頃。過去に卑屈になる私に対して、12才歳の離れた彼女は、こう言い放った。


『どうして今からチャレンジしようと思わないのか。どうして今から大学に通おうと思わないのか。』


『今からでも出来ることがあるのに、チャレンジもせずに卑屈になるあなたは最高にかっこ悪い』と。


当時のわたしは32歳。目から鱗だった。


それまで"働きながら大学に通う"なんて考えたことも無かった。だけど同時に、この発想を持たずに卑屈になっていた自分がとても恥ずかしくなった。


これが大学進学を決意した瞬間だった。




その後、通信制大学のオープンキャンパスに行った時に、担当者が言った言葉が今も忘れられない。


『学びたいと思った""が、あなたの学習適齢期です』


この言葉を聞いた時、体中が猛烈に熱くなった。17年前に感じることのできなかった"希望"が、全身から溢れ出るのを感じた。


学ぶことに遅すぎることはない。


今からでも、いくらでも挑戦できる。この日本に生まれたおかげで、私は今からでも道をひらけるんだと気がついた。


いま、私は声高々に言いたい。


わたしの学習適齢期は今です。

35歳の大学生は今、胸を張って生きています。





写真は、大学のスクーリングで滞在する京都の朝焼け。17年前の今頃、私は絶望の真っ只中だったのだけど、今の私の目に映るこの景色には、希望が溢れています。