人生のピンチと占いの導き~Part14 占いが当たらなかった原因について色々 |  地球の救い方 ルドルフ・シュタイナーの人智学に学ぶ

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人生のピンチと占いの導き~Part14

 

 

Part14 占いが当たらなかった原因について色々

 すみません。今回は予言や預言について書こうと考えていたのですが(実際に書いてはいるのですが)、前回「こうした法則性は、占術に限ったことではないので、例を挙げれば際限がなくなってしまう」と書いたように、過去の経験から色々感じることがあるので、予定を変更して、前回のような考え方に至った経緯について、お話しさせていただこうと思います。

 

 

 

書籍『500に及ぶあの世からの現地報告』の紹介

 

 最初に、最近読んだ本に占いに関係するような内容があったので、忘れてしまうまえに簡単に紹介しておこうと思います。その本は、「500に及ぶあの世からの現地報告」(ネヴィレ・ランダル著 スピリチュアリズム普及協会訳)です。

 

 私個人はこの団体とは何の関係もないのですが、読んでみたかった書籍を複数発行されていたので、過去に数冊購入させていただいています。https://spiritualism.jp/publication/book/

 

 

 先日紹介させていただいた「霊との対話」は天国的な霊界の霊と、地獄的な霊界の霊との差が非常に大きくてインパクトの強い内容であるのに対して、この本は一般的な人が死の直後とその後に、どのような意識状態で、どのような経過を辿って霊的な生活に至ったかを知ることが出来きます。個人的にはソフトな感覚で読み進むことができる良書だと感じました。

 

 それと同時に、ルドルフ・シュタイナーの人智学のように、死後にエーテル界、アストラル界を通ってゆく・・・、というような客観的認識論とは対照的に、主観的な意識で、精神の変化による霊層の上昇の様子も霊本人の言葉で解説されていますし、個人的には得るところが多くありました。

 

○霊的なインスピレーションを受け取る霊媒師や占い師

 

 前置きが長くなりましたが、この本の一節には『いい加減な霊媒に苦労した霊の話』というものがあります。簡単に説明すると、それは、ある未亡人となった女性が、教会で霊媒師に出会った際のエピソードです。その時、他界した夫の霊が、霊となった自分が近くに居ることを妻に知らせるチャンスだと感じて、妻と会話をする霊媒師に懸命に意識(念)を送るのです。

 

 その夫は、梯子(ハシゴ)から転落して死んでしまったので、その映像を霊媒に送るのですが、その霊媒師は「梯子の印象」は感じ取ったものの、相談者(妻)に対して「今後、梯子を登るような良い運になる」というようなアドバイスをしてしまうのです・・・。

 

 それを聞いて"イラッ”としながらも、夫の霊は自分の名前を念じて霊媒に伝えたのです。そして、それを霊媒師が語ると、妻の方が「梯子」と「夫の名前」を聞いたことで、それが夫からのメッセージだと気付くことができた、というようなエピソードです。

 

 このような霊界のエピソード一つ取っても、天使や霊からのインスピレーションを受け取る占い師のアンテナ(魂の感度)次第で、霊的なメッセージの違いや未来に関する占いに「アタリ」「ハズレ」の差が出てくる理由が解るように感じられます。

 

 前にも書きましたが、良く当たる占い師の場合、占術の結果そのものではなく、そこから感じ取るインスピレーション(霊感や直感)を語ることが多いのです。

 

 その意味では、生年月日、氏名、手相、人相、等から色々と運命を鑑定する場合、占術に熟達している霊感の強い占い師にとっては、そういった対象となる人物の情報は、相手の潜在意識や霊的(スピリチュアル)な波長を合わせるための手段の一つになっているようなのです。

 

 私も非常に当たると評判の占い師さんのエンジェルカードリーディングを受けたことがありますが、「確かに凄く当たっているけど、それってカードの意味を超越してませんか?!」と感じるような印象を受けたのです。その時のリーダーさんも「カードの本来の意味ではなく、カードの絵や印象からインスピレーションを得ている・・・云々」というような事を言っていたと思います。

 

 ただ、このヒーラーさんの場合、いろいろと感じる反面、相談者にとって都合の悪いことを感じた時に、どのように伝えるべきか、といった部分で非常に葛藤を感じていたようでした。

 

 そのインスピレーションの差の原因は千差万別で色々あると思いますが、占術に関する知識や経験は当然のことで、霊感という意味では天使や神様を信じる度合いや、相手の幸せや開運を祈る愛や思いやりの深さ等々の違いもあると思われます。

 

 

当たっていると噂の算命学の鑑定が余り当たっていないと感じた理由

 このような感じで、私の場合は霊学や神秘学のオタクのせいもあって、占いを非常に信じやすいタイプなのです。ただ、占術を信じるからこそ、良い鑑定は強く信じて、悪い鑑定はハズレるように(気になって仕方がないので)、これまでに、その方法を色々と模索してきました。

 

 例えば、30代はじめの頃、姉から凄く当たっているからと薦められて算命学の先生に占っていただいたことがありました。(今、改めて読んでみると、性格や気質は非常に当たっていると感じます!)ただ、当時、私の過去の経験や父との関係について、要所々々で何かズレているような、悪いことが余り当たっていないような部分が多くあるように感じられたのです。

 そうなると、何となく「今後の未来の占いの内容もそれほど当たらないのでは?」と感じてしまうのは当然のことです。ただ、後々よく考えてみると、その当時は全国の神社に参拝旅行を兼ねた気学の祐気取りを実験的に行っていましたし、もしかすると、本来の運命を少しは良い方向に転換できていたのかもしれない、と感じられてきたのです。

 

(私が年に1~2回程、祐気取り&神社参拝旅行をするようになったのにも、いろいろ理由があるのですが、それも機会があれば書こうと思います)

 

 もし、そうだとすると、それは非常に評判の良い算命学の先生が悪いのではなく、気学・風水といった後天的な占術や先祖供養、お墓参り、神社参拝、御祈祷、御札、護符、お守り、さらに奉仕や寄付(これは余り満足には出来ていませんけど・・・)、プラス思考の自己暗示、等々が良い意味で、算命学の悪い作用を未然に回避していたのかもしれない?わけです。

 

 (こうしたことは、建築士&風水師&三宅宮の宮司でもある、Dr.コパさんのエピソードが非常に説得力があるのですが、これも機会があれば紹介させていただこうと思います)

 

 そのため、神様や霊的に何も信じずに、何の努力もしなかったら、算命学の悪い部分も的確に当たるような人生を歩んでいた"かも”しれないのです。でも、自分の人生で「○○した場合」と「○○しなかった場合」の運命を同時に比較することは不可能なので、「・・・"かも”しれない」としか言えないのです。ここが、非常に歯がゆいところです。

 

 実際、当時の私も個人的には、不安や悩みもたくさんありましたし、決して運が良いと感じていなかったからこそ、相談を兼ねて占ってもらったのです。

 

 そう考えると、もしかすると「私たちは未然に救われていたとしても自覚も感謝もないまま、それを当然のことだと感じながら暮らしていて、運が悪いと思い込んでいるだけ、という可能性があるのかもしれない」とも感じられてくるのです。

 

 

過去の過ちを改善することで、未来の運命が変るのは当然のこと

 このことは、かなり昔にブログに書いた気がしますが、私が20代の頃、私の姉が法華経行者の霊能者さんに相談に行った際に、「自宅の近所で15年以上前に取壊された小さな神様の祠の御眷属の障りが、その近隣にまで霊障として現われていること」を指摘されたのです。

 

 当時、既に宅地&商店になっている敷地に、その昔、神様の祠があったことを覚えている人は少なかったのですが、それを言い当てられた姉は本当に驚いたのです。確かに、その土地の住人は急病で救急車で搬送されたり、首つり自殺をしたり、お店が流行らずに閉店したりと、宅地&商店になった当時は祟りだという話もあったのです。

 

 そして、行者さんにご祈祷をしていただき、姉は供養の方法を指導していただいたのです。その後、行者さんのご祈祷と、姉の供養の霊験のためなのか、近所の敷地の霊障が急速に軽減していったようで、現在ではその住宅は当時のような問題もなく、(たぶん)普通に生活をされているようです。

 

 もちろん、これは占いや予言の話しではありません。それでも角度を変えて見れば、少なくとも「もしも、ご祈祷も供養もしないで、そのまま放置していたら、今後もその土地の周辺では神様の御眷属の祟りや霊障が続いて、良い事も起らないはずだ」という未来は予想(予言)できるはずです。

 

 そのため、その悪い鑑定(予言)がハズレるように、ご祈祷と供養で未来を改善することができた、という考え方もできるはずなのです。

 

 それは何も霊障に限ったことではなく、日常的に相手に何か悪い事をしてしまった時に、深く反省して御詫びすれば許されて仲直りできるのと同じことです。

 もし、反省も御詫びもせずに無視したり、相手に逆ギレしたりすれば、相手から仕返しや絶交されて、悪い噂を流されて、嫌な気持ちになり、運が悪い状況になるのと同じはずなのです。

 

 その違いは、見えない神様や霊なのか、目に見える人間なのか、という違いです。

 

 そう考えると、因縁因果とか因果応報という言葉があるように、良い事をすれば良い事が返ってくる、悪い事をすれば悪い事が返ってくる、という見えないけれど簡単で単純なこの法則は、運命や占術の内容を改善する上で、重要な秘密が隠されているように思うのです。

 

 同じように、お墓や仏壇での先祖供養を「する」のと「しない」の、神社参拝でいただいた御札を神棚にお祀り「する」のと「しない」のとでは、実は私たちの未来に違いが出てくる可能性が非常に高いのです。

 

 もちろんこの場合も、供養や祭祀を「している場合」と「していなかった場合」を同時に並べて比較できないので、それは明確には解るはずも無いのです。それでも、先の祟り現象や、霊学や神秘学に触れていると、比較はできないけど「しておこう」「しておいた方が良いに決まっている」と思えてくるものなのです。

 

 そのあたりの先祖供養の方法などについては、最近の本であれば梨岡京美さんの「霊視の人」(仏事編)、神社参拝や御札の扱いについては桜井識子さんの著書に詳しく書かれているので、おすすめです。神秘学のオタクなので、桜井識子の本⤵も人生の参考にさせていただいています。

 

 

 

 ちなみに、梨岡京美さんには昨年、不思議なタイミングで個人セッションをしていただく機会を得て、色々と相談や質問をさせていただいて、非常に凄い方だと感じました。

 (その時の事は、そのうち機会があれば書こうと思います。)

 (ミーハーなのでサイン⤵をいただいてしまいました。)

   

 

 

苦労や悩みが多いことと、運の善し悪しは違うのかもしれない

 ちなみに、姉に色々と親切丁寧に指導をして下さった行者さんは、私に対しては「大丈夫だ~」と言うただけで、安堵した反面、何となくつまらない気分になったことを覚えています。

 

 また、高島泉妙女史の気学の本を読んで、御祈祷された水晶の玉を欲しいと思うようになり、ある日、思い切って電話で問い合わせしたこともありました。

 

 その時も、泉妙先生ご本人から「あなたには水晶は必要ないわよ。」とあっさり言われ、購入させていただけなかったこともありました。「販売すればそちらも儲かるはずなのに?」と感じつつも「必要ないのかァ・・・」という感じだったのです。

 

 個人的には、当時、非常に悩みや迷いや葛藤が多くて、何とか改善したいと救いを求めていたのですが、なぜか霊能者からも著名な占術の先生からも「大丈夫」「必要ない」と言われたのは、本当に疑問でしたし、不思議なことだったのです。

 

 ただ、それも今にして思うと、私の人生の経験として魂の苦労が必要な時期だったのかもしれません。つまり、魂にとっては「葛藤しながら神仏の法則を学ぶ」という、あの世で目指した目標に向かって魂が邁進していたのかも?しれないのです。現実的には逆境でも、霊魂的には良い修行ができていたのかも?しれないのです。

 

 そう考えると、運が悪いと思って手当たり次第にあれこれやっていたことで、実は自覚できないまま、神様や御先祖様から色々と救われていたのかも?しれないのです。

 

 気学・風水の場合もそうですが、「宝くじが高額当選した!」とか、「美男or美女の恋人ができた!」とか、そういうプラスの大開運ばかりを期待していると、「マイナスが消されていた!」という地味~な開運にまったく気づけないでいる可能性も高いのです。

 

 そうだとすると、昔の爺ちゃん&婆ちゃんがよく言うような、「何もなくても、日頃から神様や仏様には感謝しなさい・・・云々」という言葉の意味も、少しだけ分かるような気がしてくるのです。

 

 ・・・・・・もはや、個人的な占いの体験談からも脱線して、神様や霊の話になりつつありますが、今後も色々な角度から占術や予言について書いてみようと思います。

 

次回は、「体験談の続き」か「予言の話」か「占いの起源」の話になると思います・・・。