ちょっと前、うちの部下が辞めて、実家に帰りました。
実家の家業を手伝うために。
もう上の兄弟2人も帰ってるんだそうです。
彼は厳しい環境で育ったようです。
自分は、仕事が出来ないとおもいこんでいました。
実際、彼は、仕事が出来なかったのですが、何ができないかというと、
決断することができないようでした。
家にかえるあたり、家族もそのことをなじっていたようです。
なので、家族の中にいるときも窮屈そうに感じました。
なのに、親の勧めのまま、なんで実家に帰る決断をしたのでしょう?
それが不思議だったので、いろいろと考えてみました。
学生時代、彼は留年したときには、下宿から実家に呼び戻されている。
仕事の研修先も親が決めている。
どうも自分の人生を自分で決めたことがないようです。
ふと、考えました。
彼には反抗期があったのでしょうか?
反抗の余地もなく、家族に押さえつけられていたのでは?
私の考える反抗期の定義は、
親が期待する子供のイメージと、自分がなりたい今、または将来の自分のイメージにギャップが生まれ、それが心的反応をおこしたもの。
です。
当然のことですよね。自分をコントロールできるのは、自分以外には存在しないはずです。
原則、ヒトは、ヒトの感情や意思を、コントロールできるはずがないのです。
それが出来ると考えるのは、強力ななんだかの力が必要なり、場合によったら、病的な場合もあるように思います。
ちょと脱線しました。
反抗期。
親離れ、子離れはいつのタイミングでも必要とされますが、比較的幼少時は、親が期待する自分像にあわせるように生きていこうとするのでは?と考えています。
ですから、自我が成長し、独り立ちをするときには、親のイメージと、本人のイメージがぶつかるんだろうな、と考えます。
他人の意思や感情を、そっくりそのまま共有できることはないでしょうから。
しかも、親は子供に、自分の分身として、自分ができなかったことや、希望すら、期待してしまいがちです。
もちろん、子供のイメージが未熟な場合もあると思いますが。
この反抗期がなんらかの形で阻害された場合、子供は、親のイメージを追い続けながら、自分に満足することなく、終わりのない茨の人生をあるこうとするのではないでしょうか?
そこから逃れられない子供たちが、極端な場合、不幸にも、親を殺害するしか逃げ道はないと、間違った考えをしてしまったりするのではないのでしょうか?
イチローさんや杉山愛さんのように、親の期待以上に、大人物になられる方もおられますが、ごく一部のようなきがします。
いくら頑張っても、親の期待に添えないと思いながら生きることって、とても窮屈なように思えます。
40歳をすぎても、独身で、両親に挟まれるようにして、高級料亭のカウンターで食事をしている彼の姿をみるにつけ、とても複雑な気持ちになってしまいます。