お世話になっております 『チベットNOW@ルンタ』 トンバニ様のブログより転載です。
(HP:『ルンタ・プロジェクト』)
フリーネット本 「太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議」
https://docs.google.com/file/d/0B6cmrkvyxC23QmhCRTZyeWRrNm8/edit2014年12月07日
15年の刑を受けていた社会活動家 拷問死
12月5日午後、15年の刑を受けラサのチュシュル刑務所に収監されていたチベット人政治犯テンジン・チュダック(33 བསྟན་འཛིན་ཆོས་གྲགས།)が病院内で死亡した。彼はその2日前、長期にわたる拷問と刑務所内の虐待の末、生きる望みなしと当局により判断され、家族の下に返されていた。収監され6年目であった。
彼の死はチベットの拘置所や刑務所で広く行われている中国当局による拷問と非人間的虐待の結果であるとして人権団体が強い非難を表明している。2008年以降、拷問死したチベット人政治犯の数は100人を越える。
テンジン・チュダック(略称テンチュ)は2008年3月のラサ蜂起が起こったとき、国際赤十字に関係するヨーロッパのNGOの職員として環境問題を中心にした社会活動を行っていた。2008年4月、ラサ警察は彼をラサ蜂起の主要扇動者の1人として拘束した。情報提供者によれば、彼は拘束された後激しい拷問を受けた。その時の尋問の中心は、彼の父親であり1993年にインドに亡命したケドゥプに関するものであったという。ケドゥプは長年ラサを中心に政治的活動を行っていたと言われ、テンジン・チュダックは父親と連絡を取りながらラサ蜂起を扇動したとされ、15年の禁固刑と1万元の罰金を課せられていた。
11月初め頃よりテンジン・チュダックの容態は悪化し、当局は彼を病院に入院させた。病院を3回変えたが、どの病院の医者も生きる望みはないと判断した。彼は見る影もなく痩せ細り、皮膚は黒ずんでいたという。病院に入院中も彼は手かせ足かせをはめられたままであり、数名の監視要員が張り付いていた。
死亡する2日前、彼が死ぬことは確実と判断した当局は家族を呼び、彼を引き渡した。これは、彼が当局の手の内で死亡したときの責任を回避するいつもの手段である。家族は何とか彼を助けようと、すぐにラサのチベット伝統医学院に運び込んだが、すでに手遅れであり2日後黒い血を吐いて死亡した。
テンジン・チュダックは1981年、ラサの北にあるギャブムガンで父ケドゥプ、母パッサンの子として生まれた。1990年、9歳の時、ヒマラヤを越えインドに亡命し、ダラムサラにあるTCV(チベット子供村)で高校1年まで学び、2005年に再びラサに戻った。その後すぐにヨーロッパのNGOに雇われ拘束されるまで社会活動を続けていた。
参照:12月6日付けTCHRDリリース英語版
12月6日付けTibet Timesチベット語版
12月6日付けVOT中国語版