「運命の一枚 ~"戦場"写真 最大の謎に挑む~」〈沢木耕太郎 推理ドキュメント〉 | Down to the river......

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たまには「写真」の話題でも……。

先週放送された 「NHKスペシャル」が、その衝撃的な内容からか、日本の写真界でも大きな話題になっているようです。




$Down to the river......-沢木耕太郎 運命の一枚





その番組は『NHKスペシャル|沢木耕太郎 推理ドキュメント運命の一枚~"戦場"写真 最大の謎に挑む~』です。





これは、作家沢木耕太郎さんの取材と思索を軸に、テレビ60年にふさわしい映像表現・分析手法を駆使して、現代史の謎に迫るドキュメンタリーである。
戦争報道の歴史の中で、最大の謎と言われる一枚の写真がある。「最も偉大な戦場カメラマン」と称されるロバート・キャパ(1913-54)が、スペイン内戦のさなかに撮った「崩れ落ちる兵士」である。銃弾によって身体を撃ち抜かれた兵士の「死の瞬間」を捉えたとされるこの写真は、フォトジャーナリズムの歴史を変えた傑作とされ、それまで無名だったキャパを時代の寵児に押し上げた。だが、この「奇跡の一枚」は、真贋論争が絶えない「謎の一枚」でもあった。ネガは勿論、オリジナルプリントもキャプションも失われており、キャパ自身も詳細について確かなことは何も語らず、いったい誰が、いつ、どこで撃たれたのか全く不明なのだ。
キャパに魅せられた沢木耕太郎氏は、20年近くこの謎を追い続け、今意外な「真実」にたどり着こうとしている。それは、自殺願望があると噂されるほど危険な最前線に赴き、ついに戦場で命を落とすことになったキャパの「人生の秘密」を解き明かすものでもあった。
番組は、沢木さんの新事実発掘と思索の旅に同行、さらに最先端のCG技術を駆使し、「崩れ落ちる兵士」がどのような状況で、そして誰の手によってカメラに収められたのか、世紀の謎に迫っていく。

※現在、横浜美術館にて「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」
(後援・横浜市、NHK横浜放送局)が開催中です。<3月24日まで>






NHKスペシャル PR動画「沢木耕太郎推理ドキュメント(2013/2/3)」






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$Down to the river......-Falling Soldier





この写真、「崩れ落ちる兵士 (Falling Soldier)」に関しては、長年〝やらせ〟なのかどうか真贋論争が長く続いているということは、以前から知っていました。

しかし、2009年のスペインの新聞が報じた内容が、この論争の決着を付けるべくものとして、世界中で話題になりました。

勿論そのことも知っていたので、このドキュメンタリーの結論らしきものも事前におおよそ推測できた訳で、そのため放送前には個人的にそれほど関心が強かった訳ではありません。





【7月18日 AFP】世界的に有名な戦争カメラマン、ロバート・キャパ(Robert Capa)がスペイン内戦中に撮影した、背中に銃弾を受けた兵士が倒れる瞬間をとらえた「崩れ落ちる兵士(Falling Soldier)」が、「やらせ」だったとスペイン紙ペリオディコ(El Periodico)が17日、伝えた。

 ペリオディコ紙は調査結果として、当時、戦闘がなかった場所でキャパがこの写真を撮影したと伝えた。

 この写真はこれまで、1936年9月にスペイン南部アンダルシア(Andalusia)のセロムリアーノ(Cerro Muriano)で撮影したとされてきた。

 これに対し、ペリオディコ紙は、実際の撮影場所が約50キロメートル離れたエスペホ(Espejo)付近だったとして、最近撮影されたエスペホ付近の写真と、問題のキャパの写真などを並べて説明し、地形がそっくりであると主張した。

 最も象徴的な戦争写真の1つとされるこの写真は、長年論争があり、キャパの支持者が「やらせ」ではないと主張する一方、「やらせ」でないとすれば完璧すぎるといわれてきた。(c)AFP






事実、このドキュメンタリー番組の前半は上記スペイン紙が報じた内容をなぞる(再確認する)形で進行します。

しかし後半は、「沢木耕太郎」さんが立てた仮説に基づいてと断った上で、最新の CG 技術を駆使しながら、衝撃的な事実(推測)を提起します。



「崩れ落ちる兵士」を撮ったのは、「ロバート・キャパ (Robert Capa)【本名:エンドレ(アンドレ)・フリードマン】」ではなかった——。

写真を撮ったのは、キャパ(フリードマン)の恋人で仕事上のパートナーでもあった「ゲルダ・タロー (Gerda Taro)【本名:ゲルタ・ポホイル】」ではないのか!?




勿論その推論(この番組の結論)は、沢木耕太郎さんの仮説からと言えども、十分な根拠を持って導き出されているので、多くの方が「そうかもしれない……」と納得できるだけの信憑性を感じさせるものになっています。





このドキュメンタリー番組では、尺の関係か、説明不足だと感じた点があるので、以下に言及します。

ゲルタ・ポホイルの仕事上の名前「ゲルダ・タロー」の「タロー」は、当時パリでゲルタと親交のあった「岡本太郎」さんの「太郎」からちなんで命名されたとのこと。

そのことからも分かるように、彼女はクリエイティブな世界にかなり強い関心を持っていたことが伺われます。

ユダヤ系移民だった2人は、フランスでの生活は経済的に困難を極めました。

その解決策として、アメリカ人映画監督の「フランク・キャプラ」の名前をちなんで、「ロバート・キャパ (架空の人物)」という架空のアメリカ人写真家を創作して、職業上の名義として使い〝成りすます〟というアイデアを考えたのもゲルダでした。

実際に、架空のキャパ名義を使うと3倍の値で写真が売れたそうです。

そして、スペイン行きをキャパ(フリードマン)に勧めたのもゲルダだそうです。

ゲルダは、キャパ(フリードマン)との出会いの当初は彼の個人的な助手となり撮影技術を学んだそうですが、スペイン内戦取材の頃には、年上のゲルダが彼ら2人のプロデュースをも担うという、主従関係の逆転みたいなことがあったと見受けられます。

そして、「崩れ落ちる兵士」が撮られたスペイン内戦取材の初期の頃は、ゲルダが撮影した写真も(当然のことのように)〝架空のキャパ名義〟で出版社を通じて発表されたそうです。

つまりこの頃までは、「ロバート・キャパ (架空の人物)」とはゲルダとキャパ(フリードマン)の2人が共通して使用した「仕事上の名義」だった訳です。

日本で似た例を挙げると、「藤子不二雄」と同じようなものでしょうね。

だからこそ、ゲルダが撮った写真を「ロバート・キャパ (架空の人物)」として発表することに関して、2人にとっては全然不自然なことではなかったのです。

その後ゲルダはキャパ(フリードマン)からのプロポーズを断り、職業写真家としても彼からの独立(自立)をし始めます。

仕事上の名義として「ゲルダ・タロー (Gerda Taro)」を名乗るようになったのも、その頃からだそうです。





この「崩れ落ちる兵士」の真贋論争は、結局のところ、決定的な証拠であるこの写真の「ネガ・フイルムが紛失」しているので、どのような結論も推測の域を出ません。

では、なぜネガは紛失したのでしょうか?

このドキュメンタリー番組では、不思議とその理由について全く触れていません。

少なくとも、ネガを直接見た人物は複数存在するはずなのですが……。

また、同じ日に撮られた他の写真のネガは(一部?)現存しているので、なぜこの写真のネガだけ紛失したのか不可解にもなります。

これだけ世界的に有名な写真なので、その当時から誰かがネガを重要に保管するはずだ、とも思え来てしまうのですが……。

そこで、沢木耕太郎さんに倣って、僕なりの1つの仮定を言わせてもらえれば、キャパ(フリードマン)自身が「意図的にネガを処分した」のではないか?——という疑惑が浮上してきます。

もし本当にこの写真をゲルダが撮ったのなら、キャパ(フリードマン)が自分が撮ったと消極的に証明するためにネガを処分するという動機があっても不思議ではないからです。

このドキュメンタリー番組で1つの答え「らしき」ものが提起されたことで、また別の疑問が湧いて来るという悪循環です。





「崩れ落ちる兵士」にまつわる謎を解き明かすことだけでなく、このドキュメンタリー番組はその後のキャパ(フリードマン)の心情、人間性についても追究しようとします。

これまでの沢木耕太郎さんの仕事と同じく、「ニュー・ジャーナリズム」の手法のように敢えて客観性を捨て、積極的にキャパ(フリードマン)の心情に寄り添い、彼の心の闇を解き明かそうとしています。

そのため、客観的な真相だけが知りたい方には、必要以上にキャパ(フリードマン)を美化しているのではないか、と不満が残ると思います。

しかしこれが沢木耕太郎さんのカラー(スタイル)なので、仕方のないことでしょうね。

むしろ、「客観報道」とか「両論併記」とか指摘される公正な報道など、実際の現実にはありえないことを気付き始めている現代人には、沢木耕太郎さんのスタイルには特段違和感を感じないと思う。

先進国の中で日本だけは唯一「客観報道がある」という妄想を——論理的根拠もなく——みな盲信しているみたいですが……。

沢木耕太郎さんが番組の最後の方でご紹介したキャパ(フリードマン)の写真が次です。




ドイツ協力者

$Down to the river......-ドイツ協力者





この写真について、沢木耕太郎さんは番組の中で次のように語っています。





その2ヶ月後のことだった——。

キャパはドイツ軍から解放された街で、一枚の写真を撮った。
ナチスに協力したフランス人女性が頭を丸刈りにされ、通りでさらし者になっている姿だ。
彼女に浴びせられる残酷な嘲笑と罵声が聞こえてくるかのようだ。

そこには、正義と非正義の二分法が意味を成さない世界が広がっていた。





「崩れ落ちる兵士」は連合国側の〝反ファシズム〟のプロパガンダに大きく利用され、キャパ(フリードマン)のその後の人生も大きく左右されてしまった。

そして彼が正義だと信じていた〝反ファシズム〟の戦いの結末が、「フランス人女性の頭の丸刈り」という〝いじめ(虐待)〟だったのだ……。




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最近日本でも、「恋愛禁止」という自然の摂理に反するルールを破ったということで、女性アイドルが謝罪として頭を丸刈りにし、それを NHK を初め大手メディアが大きく報道し、日本中が賛否両論で大騒ぎになりました。

そもそも自然の摂理に反するルール自体が遵守出来ないものであるのにも関わらす、その点を問題提起するジャーナリストやコメンテーターが大手メディアに全く存在しないことに、キャパ(フリードマン)が撮ったこの写真と同様に、大きな違和感を感じます。

また、丸刈りの女性アイドルの謝罪動画も、どう見ても裏で誰かが演出(プロデュース)した感があり、これこそ計算された〝やらせ〟の疑惑が濃厚なのに、多くの日本人がそれに気付かず——もしくは、気付かない〝振り〟をして——、裏で手を引く輩の〝メディア戦略〟に乗っかって「踊らされて」いる様は、どうにも気色が悪い……。

本質的に正しいことは何か?」ではなく、悪法と言えどもルールは遵守しなければならないというその姿勢は、この世の真理・定理を無視することと全く同じで、現代人が持つべき教養や民度において、日本人は著しく低レベルであることを証明してしまったのではないだろうか?

ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺も、法令に基づく「合法行為」だった……。

「合法」であるが故にその行為は正しかった——と真顔で主張する人が、現在存在するのだろうか?

「合法」であるが故に正しかった、と論理性のある根拠を示す学者が、現在存在するのだろうか?

合法よりも、「本質的に正しいことは何か?」の方が重要(優先する)、というのが現在の人類の共通認識ではなかったのか?

法治国家だから法(ルール)を厳守すべきだという姿勢で、果たして本当に「良い社会」が実現出来るのでしょうか?

キャパ(フリードマン)が撮ったこの写真と重ね合わせて、この際皆さんに深く考えて欲しい。

ジャーナリズムは基本的にその時の権力側の〝プロパガンダ〟にすぎない」存在だということを——。

そして、「人間の世界には本当の正義が存在するのか?」ということを——。




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沢木耕太郎さんは続けて次のように語り、このドキュメンタリー番組は終わります。





キャパにとって不幸だったのは、もはや信じられるほどの正義の戦争などどこにもない、ということだったのかもしれない。

……にも関わらず、見入られたように再び足を踏み入れてしまった戦場で、キャパは最後の日にこの写真を撮った後、地雷を踏んで死ぬことになる。
40歳だった……。

22歳の時にキャパがゲルダと歩いた一本道——。
その道の向こうには、生きるための希望と、実現すべき正義が……まだあった。
〔強調:引用者〕



$Down to the river......-Hans Namuth

Photo by Hans Namuth





このドキュメンタリー番組は、結果としてキャパ(フリードマン)とゲルダの2人の(別の)謎が更に深まってしまうという副作用を生じながらも、一方で人間が普遍的に持つ〝ダーク・サイド〟の部分を深く考えさせる作りにもなっています。

その意味では、単なる推理ドキュメンタリーではないので、写真に興味のない方も〝一見の価値がある〟と言えるでしょう。

動画が削除される前に、是非お早目のご視聴をお願いしますm(_ _)m。




沢木耕太郎 運命の一枚~戦場写真 最大の謎に挑む~






動画を見て関心を持った方へのお知らせです。

このドキュメンタリー番組と同じ内容の書籍が出版予定だそうです。








テレビでは描かれなかった詳細部分の記述もあるのかもしれません……。