『私の中のあなた』 | Down to the river......

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久し振りに映画の話題です。

最近『ゴールデンスランバー』や『インビクタス 負けざる者たち』といった作品も観ているのですが、今回は半年くらい前に公開された『私の中のあなた (My Sister's Keeper)』について書きたいと思います。

何故今までエントリーしなかったのかというと、機会を逸したのもありますが、描かれる問題の深刻さもあったのだろうと感じています。






この映画を観ようと思ったきっかけは「沢木耕太郎」さんの朝日新聞に載った「映画評」を読んだからです。


私の中のあなた ~難病の姉をもつ少女の決断


映画を観た後で読むと、この映画というより、原作小説の論点について語っているように感じられますが……。




映画「私の中のあなた」予告編





白血病の姉のためのドナー(臓器提供者)として遺伝子操作によって生まれてきた少女が、自分の身体を守るため両親を訴える——。

というのがこの物語の骨子ですが、この映画では「医学の進歩による倫理上の問題」というより、「親と子の関係」について重点的に描かれているように感じました。

「家族の物語」と言い換えても良いのかもしれません。

もう少し具体的に書くと、「親の(愛情ゆえの)エゴ」と「(親の想像とは違う)子供の本心」の対立、とでも言えるでしょう。

5人家族の物語なのですが、この映画の語り手(ナレーション)も5人がそれぞれ途中で入れ替わるという複雑な構成を成しています。

語り手(視点)を「一人称」にするか「三人称」にするかは、物語全体に大きく影響を及ぼす問題ですが、この映画は5人分の「一人称」で語られるので、ある意味とても実験的な手法とも思えます(前例がない訳ではない)。

問題は観客が混乱しないか、ですが、この映画は映像によって上手く処理し、比較的に視点の移動が分かりやすいように工夫されています。

この視点の移動は映画の冒頭の回想(状況説明)シーンでいきなり始まるのですが、観客の混乱を映像で(見事に?)補っているので、大きな違和感を感じさせません。

そしてこの映画のクライマックス・シーンでは、これ以外のベストは考えられないと思えるカメラ・アングル、カメラ・ワークによる映像で、観客を登場人物の心情に惹き込みます。

こういう映像だけで表現する力は、最近の日本映画では感じられない部分でもあります(^^;。




My Sister's Keeper - Breathe





映画は原作小説とは違う終わり方になっていますが、監督の「ニック・カサヴェテス」は敢えて「倫理上の問題」を薄め、「親と子の関係の問題」にフォーカスすることで、静謐でどこか清々しいような余韻を演出しています。

以前「後味が悪い」映画の方が好みだと書きました。

しかし、それは「問題提起として」という意味合いであり、この映画に関してはその存在自体が既に問題提起になっています。

終わり方としてはこのような「出口」というか、希望のかけらが感じられる方が好ましいと思っています(^^ゞ。

ただ1つ断っておきたいのが、これは事実を基にした物語だということです。

遺伝子操作によってドナーとして生まれてくる命は、現在も続いているのです。

両親が愛しあった証として生まれて来たのではない、と幼い頃から自覚させられた子供の心情(心の傷)とはどんなものでしょうか? どんな風に人格が形成されていくのでしょうか?

現実はこの映画の家族とは違う過程を経る可能性が大きいのでは?

この点がこの映画の弱点でもあり——特に現実に「臓器移植」の問題に直面している人達にとっては——、その批判の最大の理由だと思われます。








しかし、複雑な物語を「どう語るか」という点において、良く出来た映画であります。

子供を持つ親の方には、「親のエゴ」について考えさせられる良い映画でもあるでしょう。

出口の見えない難しい「倫理上の問題」に関して、この映画の描き方は、観客が好ましいと思うバランス感覚が取れていて、僕自身とても共感出来るものでもあります。

出口を見出せないからこそ、せめて映画(フィクション)の中では……。