2016年9月18日(日)

 

宿では7時からの朝食をご厚意により6時に出してくれた。これでお腹いっぱいで旅を再開できる。弘前から五能線の列車で五所川原へ向かう。列車は3両だったが後ろの2両は五所川原止まりだ。自分は五所川原で降りるから真ん中の車両に乗っていく。五所川原では3分の連絡。遅れるはずはないと思いつつも少し焦る。


11.弘南バス(五所川原)
金木/中里経由小泊行
青森200あ125
五所川原駅前→中里駅前(820円)
7時20分~8時04分

今日のトップランナーはこれまた3年前に乗ったことのある路線。実はこの路線津軽鉄道を乗り潰すには結構便利な路線なのだ。簡単に解説すると7:08に津軽五所川原を出る津軽鉄道に乗ると終点の津軽中里には7:44に着く。しかし、この列車は折り返し金木止の列車となる。つまり、この時間に津軽中里へ行くとこの列車が金木に行って帰ってきて8:30に再び津軽五所川原行になるまで五所川原へは帰れない。この場合の五所川原着は9時07分。一方、津軽中里駅からこのバスに乗ると8時7分発で8時52分に五所川原駅に着く。たった15分だが9時00分発の青森・矢田前行きのバスに間に合うというのがミソ。最速で青森駅に着くことができるのだ。
だいぶ脱線したが、バスはぎりぎりの乗り継ぎ。五能線から乗り継いだのは自分と旅行者風のもう一人だけだった。前回は中型車だったが、今回はまたしてもマイクロバスだ。五所川原市内を回ってから同時に発車した青森行きと別れて北上する。途中金木では住宅街の道を走るもののほとんど幹線道路だった。中泊町に入るとまもなく中里駅前だった。バスは駅舎の前まで乗り入れた。


12.弘南バス(五所川原)
奥津軽いまべつ駅前
青森200あ201
中里駅前→奥津軽いまべつ駅前(1200円)
8時45分~9時55分

新幹線のステッカーが貼られた専属のマイクロバスがやってきた。このバスは北海道新幹線開業を期に新設された路線で、中泊町などから新幹線へのアクセスを担う。新幹線連絡バスのため、途中バス停の降車はできない。しばらくは小泊行きのバスの経路を進む。中里駅を出ると集落のセンターラインがないような道を進む。たまに大通りに出るが、わざわざ集落の横道に入り、そのバス停で乗車扱いをする。しかし乗客はなく、バスはそのまま山道へ。
まもなく津軽線の線路が見えてきて踏切を渡る。あまり大きな集落もなく、茂みと田んぼの真ん中に突然立派な駅舎が現れた。ここが今年開業した奥津軽いまべつ駅だ。

降りたところで駅舎に感動していたところ東奥日報さんに取材を受けました。なんでも中里奥津軽連絡バスが新幹線と共に開業半年を迎えるということで取材中とのことでした。地元の方でなくて恐縮ですが、マニアなりに答えさせていただきましたよ。最後の方は奥津軽いまべつ駅の悪口ですけどね(すみません(^_^;))



奥津軽いまべつ駅-Okutsugaru Imabetsu Station-(青森県今別町)
津軽線の普通列車で何度か通ったことのある駅だが見違える姿になっていた。道の駅も併設されていて無料駐車場も整備されている。


13.今別町巡回バス
浜名経由三厩駅行
青森200さ539
奥津軽いまべつ駅前→三廏駅前(200円)
10時42分~11時04分

ここから三廏までは今別町営バスに乗る。奥津軽いまべつと同じところにある津軽二股から上りに乗っても下りに乗っても隣が外ヶ浜町。平成の大合併で今別町は外ヶ浜町に挟まれた町になってしまったのだ。

バスは今別町の中心地の今別駅の近くを走る。ここがメインストリートだと運転手さんに教えてもらう。休日だから全て閉まっているけれど。バスはバイパスではなく集落を縫うように走る。最後は海沿いの道だ。
三廏駅は海沿いから少し内陸に入ったところにあった。
 
津軽半島最北端の三厩駅。本州最北端の大湊線下北駅は途中駅で市の中心駅のためこの駅の方が最果て感がある。ふたつめの写真は帰りに撮影。
 
津軽半島のバスはかつては青森市交通部が市営バスとして運行していた。青森~蟹田、蟹田~三厩、三厩~龍飛などの路線があったという。青森市から遠く離れた場所を運行していたことは驚きだ。現在では今回利用したように外ヶ浜町や今別町が運行を引き継いでいる。
 
写真の看板は風車の羽を利用しているらしい。


14.外ヶ浜町(三厩地区)
三厩支所経由龍飛灯台行
青森200は210
三廏駅前→龍飛灯台(100円)
12時34分~13時06分

バスは津軽線が着く30分くらい前にやってきた。乗ってても良いと言われたので車内で待つ。津軽線が到着するとほとんどは観光客でこのバスに乗り継いできた。

バスは海沿いのバイパスではなく集落の旧道を走る。漁師町が途切れることなく続いている。この厳しい地形でも海にせり出すように町が広がっているのだ。龍飛が近づいてくるとトンネルが多くなってくる。このあたりは大正期まで道はなく、岩場を歩いて三厩へ出るか、舟で青森や函館に渡るしか移動手段がなかったという(後述)。

龍飛漁港の転回場でUターンすると急な坂道をのぼっていく。中腹までのぼって少し下るとまもなく青函トンネル記念館。そこからまたのぼっていくとまもなく龍飛崎灯台だった。灯台の麓の駐車場が降り場だった。

津軽半島北端到達です!
 


まずは龍飛崎からの景色を。今日は天気がよくて北海道をはっきりと望むことができた。
階段を降りて駐車場に戻ると、そこから龍飛漁港へ降りる階段国道が見える。近くで切手を売ってる郵便局の人に聞くと、ここを降りると旧奥谷旅館へ行けるという。では先に青函トンネル記念館へ行こう。


青函トンネル記念館は青函トンネルの龍飛側の坑道口に建っている。記念館では作業用先導坑や新幹線の第三軌条の線路などわかりやすく展示されている。
14時になると体験坑道に入坑する。体験坑道へのケーブルカーは青函トンネル竜飛斜坑線という私鉄路線となっていて日本一短い私鉄とされている。青函トンネル建設中は作業員や機材の輸送に使われていた線路である。

気圧調節のための風通門が開くと、サイレンの警戒音が響く中ゆっくりと下っていく。坑道内では実際の工事で使われた作業坑を見ることができた。
この風通門の先は400メートル先、龍飛定点に通じている。
この線路の横にある階段は避難用だ。唯一使われたのは青函トンネルの在来線時代にスーパー白鳥の発煙事故が発生した時だという。

灯台まで戻って階段国道を下る。下まで行くと民家の軒下を抜けて龍飛漁港近くの道に出た。バスまでの時間で旧奥谷旅館を見学しよう。

中に入るとおばあさんが出迎えてくれてお茶をだしてくれるなど至れり尽くせり。「津軽」の取材中に太宰治が泊まった部屋などじっくり見学することができた。龍飛へのアクセス道路ができたのは大正期とのことで、その際尽力された牧野逸蔵氏の話など興味深いものだった。前述の通り、岩場を歩くか、舟を出すしか移動手段がなかった龍飛だが、三厩がナマコ漁で得た収益で山をトンネルで貫き、三厩までの道を整備したのだった。その道は青函トンネル工事の際にトラックが通れる新道に置き換えられたというが、それまでの間、龍飛の生命線として力を発揮したのだという。なるほど、来るまでの間に使われていないトンネルが車窓に見えたのだが謎が解決した。

帰り道は龍飛郵便局から外ヶ浜町のバスで三厩で戻る。今別町営バスの運転手さんに道を教えてもらっていたので、教えてもらった通り駅の一つ手前の駅前通りバス停でバスを降りる。

バイパス沿いに歩いて目的地に向かう。
その目的地は…

ここ。


青函トンネルの本州側の入口です。写真の腕は無いからご覧のような有様だけれど個人的には満足。ここで一緒に新幹線を撮影したご夫婦に三厩駅まで車で送っていただいた。キャンピングカーで日本一周されているようで、こんな老後っていいなって思う。
 

帰りは津軽線で津軽二股、そして歩いてすぐの奥津軽いまべつへ。そこから東京行き最終のはやぶさで帰りました。いやぁ、この駅死ぬまで自分には縁がないと思ってましたが、津軽海峡に魅力されてしまいました。
また来るかもね。

追記:バスに乗り慣れてしまったので新幹線のシートピッチに感動。


現段階では日本横断紀行はこれ以上北上する予定はありません。渋川→越後湯沢の穴埋めや、甲府以西はまだ計画段階です。行ったらマイペースに更新しますね。