なぜ生きる/明橋 大二
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「死んだらどうなるか」
 何かでごまかさなくては生きていけない不安だ。
 しかし、ごまかしはつづかない


どうして「後生暗い心」苦悩の根元なのか、
疑問に思う人が多いだろう。

だが、未来暗いと、どうなるか。
例えれば、こうもいえよう。


三日後の大事な試験が、学生の今の心を暗くする。

五日後に大手術をひかえた患者に、
「今日だけでも楽しくやろうじゃないか」といってもムリだろう。



未来が暗いと現在が暗くなる。
墜落を知った飛行機の乗客を考えれば、よくわかろう。

どんな食事もおいしくないし、コメディ映画もおもしろくなくなる。
快適な旅どころではない。

不安におびえ、狼狽し、泣き叫ぶ者も出てくるだろう。
乗客の苦悩の元はこの場合、やがておきる墜落なのだが、
墜死だけが恐怖なのではない。

悲劇に近づくフライトそのものが、地獄なのである。


未来が暗いと、現在が暗くなる。
現在が暗いのは、未来が暗いからである。
死後の不安と現在の不安は、切り離せないものであることがわかる。
後生暗いままで明るい現在を築こうとしても、できる道理がないのである。




五十歳近くになったトルストイが、気づいたのもこのことだった。
今日や明日にも死がやって来るかもしれないのにどうして、安楽に生きられるのか。
それに驚いた彼は、仕事も手につかなくなっている。



こんなことがよくも当初において理解できずにいられたものだ、
ただそれに呆れるばかりだった。

こんなことはいずれもとうの昔から誰にでも分かりきった話ではないか

きょうあすにも病気か死が愛する人たちや私の上に訪れれば
(すでにいままでもあったことだが)
死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。

私の仕事などは、たとえどんなものであろうと
すべて早晩わすれさられてしまうだろうし、
私もなくなってしまうのだ。

とすれば、なにをあくせくすることがあろう?

よくも人間はこれが目に入らずに生きられるものだ
──これこそまさに驚くべきことではないか!

生に酔いしれている間だけは生きてもいけよう、

が、さめてみれば、これらの一切がごまかしであり、
それも愚かしいごまかしであることに

気づかぬわけにはいかないはずだ!

    (トルストイ著、中村白葉・中村融訳 『懺悔』)





愛する家族もいつか、この暗い死にぶつかるのだ。
そう思うと、生き甲斐であった家族や芸術の蜜も、もう甘くはなかった。

作家活動は順調だったが、確実な未来を凝視した彼の世界は、
無数の破片にひびわれ一切が光を失った。



「われわれは断崖(危険)が見えないように、
 何か目かくしをして平気でそのなかへ飛びこむ」

とパスカルはあやぶむ。



思えば私たちは、真っ暗がりの中を、突っ走っているようなもの。

「死んだらどうなるか」未知の世界に入ってゆく底知れぬ不安を、
何かでごまかさなくては生きてはゆけない

文明文化の進歩といっても、後生暗い心が晴れない限り、
このごまかし方の変化に過ぎないといえよう。

しかし、ごまかしは続かないし、なんら問題の解決にはならない

何を手に入れても束の間で、心からの安心も満足もない、
火宅のような人生にならざるをえないのである。




http://ameblo.jp/the-path/entry-10431594780.html


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ごまかし、目隠し、現実逃避。。。



自分の人生は、そんな人生ではない!


と胸を張って言えるかというと、とてもそんな自信は・・・。



何となく生きてきたするのは、誤魔化して生きてきたからなのかもしれない。


そう、自分で認めるのも、なかなか厳しいものがありますが。




現在が暗いのは、未来が暗いから



お先真っ暗な未来を抱えていることに気づいてしまったら、


確かに今から、うつになってしまいそう。


期末試験のオンパレード、とかでさえ。。。




死を見つめるためには、


まずは、自分は誤魔化していないかと、自問するところからですかね。






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