死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた/大津 秀一

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24 神仏の教えを知らなかったこと


●健康なうちに宗教について考える


最期まで宗教について知ろうとしていた、

永遠の学究の徒である八十代のある患者は、

様々な宗教について一心不乱に勉強した後、私にこう遺言した。


「自分の目で考えることが一番大事である」

それが彼の辿りついた真理だった。


宗教を通し、真実を見通す目を養わなければいけないと思う。

しかしそれを余命数カ月となって初めて開始するのは、

いささか荷が重かろう。

神や宗教について考えるのも、早いに越したことはない。

そのほうが、いざというときの後悔は少ないはずだ。


毛嫌いしないで宗教書に目を通してみると、思いがけない発見があったり、

古今東西 人の悩みや疑問は一緒だなあと癒されたりする。


なかなか侮れないものである。



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哲学中心に学びたいとは思いますが、

時代を超えた、人間の悩みや疑問に対する答えは、

宗教、特に仏教(日本の古典)に求めたい気はします。


「生老病死」に関する問いは、

徒然草や、方丈記、平家物語から、歎異抄など、

諸行無常をテーマにしているものは多いですし。



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日本人と日本文化 (中公文庫)/司馬 遼太郎

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キーン

 昭和二十三年に戦犯で死刑に処せられた人たちの

 最後の手紙を集めた書簡集というものがあるのですけれど、

 最後の手紙を書くような人は、もちろん特殊の人だったに違いないのですが、

 だいたいにおいて仏教のことを書いている

 仏教のことに言及しない人のほうがむしろ少なかったようです。

 神道のことをかいたものは一つもなかったと思います。(中略)


 いちばんの危機に直面する場合、そのときこそ、

 そのときまであまり大事にしなかった

 釈迦とか阿弥陀仏をはじめて信ずるようになります

 あのときに、もう近いうちに死刑に処せられると思っていても、

 天照大御神の名まえは言わないですね。


司馬

 それは天照大御神はけっして頼りにならないからです。

 死後の世界を救ってくれませんから・・・。(中略)

 いよいよおれは死ぬということになると、阿弥陀仏になるのですよ。

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気になったので、その書簡を探してみました。




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巣鴨の生と死―ある教誨師の記録 (中公文庫)/花山 信勝
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この『正信偈』の中には、信ずるということを、
何べんも繰り返していわれているですね。
初めには 応信如来如実言、
終りには 唯可信斯高僧説、



その他お話の中にもあったように、ということをくどくどいっておる。


有り難いですなぁ。

私のような人間は愚物も愚物、罪人も罪人、ひどい罪人だ。
私の如きは、最も極重悪人ですよ。
本当の仏様の目から見れば実に極重悪人ですよ。

例えば肉を食うとか、米を食うとか、米にも生命がありますよ。
そういう食事のことからだけ考えても、

それらを食わねば生きて行けない人間だということは、全く極重悪人です。

それがよくわからないと、極重悪人がわからない
ちっぽけな智慧、それが禍いしてくるのですね。

だから、知識人は信仰に入れないのですね。


……首切られる時はただ南無阿弥陀仏以外にない。
人間は、生死を超えなければいかんですね。



(中略)



人間は、宗教に入らなければ、人生は歩めない。
上っ面ばかりの生活では、とてもだめだ。
黒潮の流れの上だけをみているような生活では、

真実の人生は味わえない
しかし、なかなか、若い者は宗教には入らないですね。



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宗教の問題は、なかなか難しいところがありますが、
最初から敬遠してしまって、食わず嫌いになると、
ちょっともったいない気がします。

否定するのは簡単ですが、

確かめてみる価値はありそうです。


個人的には、司馬遼太郎氏の言葉を信じてみて、

学ぶなら歎異抄がいいかなと。


宗教に無知なままだと、いざという時に、

変な宗教にすがってしまう気もしますし。




上医は、未病を治す。


備えあれば、憂いなし。








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