- 近代科学を超えて (講談社学術文庫)/村上 陽一郎
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岐れた諸科学は再び集まる
医学は、その出発点において、
患者の苦しみを取り除くという大前提を忘れるわけにはいかない。
それを忘れたとき、医学は医学としての存立基盤を失うからである。
そして、「苦しみ」は、科学的分析からは決して検出されない。
「苦しみ」は、人間という一個の全体的な存在の主観的側面としてある。
もし「先後関係」という概念を使うとすれば、
つねに「苦しみ」が先にあり、その科学的分析は後である。
「苦しみ」は、主体という人間の形成する
全体的な「場」の一つ一つにおいて、初めて登場する。
足を一本取り出して、針で突いて「痛いですか」ときくことはできない。
しかし、切り取ってしまってもうないはずの右足のつま先が「痛みますか」と人に聞くことは、
場合によっては十分意味がある。
痛みや苦しみは、時間-空間のキャンバスの中に分析された
物質要素の振舞いを詳細に描き上げることで済むものではない。
そして、このことは、あたかも医学においてのみ本質であるかのように見えるかもしれないが、
しかし実は、科学全般の、あの「分析の論理」について多かれ少なかれ当てはまる。
現象のレベルを降りれば、降りただけ何かが失われる。
医学の場合、どうしても「苦しみ」を感ずる「場」としての
一個の全体的人間という現象のレベルから、下降することができない、
という実際上の足かせをはめられている特殊事情がある。
それゆえにこそ、医学者は自らの分科に専門としての分析的な眼と頭とをもつと同時に、
全体的な人間という統合的な視点を不可欠なものとして要求される。
医学界の現状が、この要求をどこまで満たしているかはまた別の問題である。
だが、科学一般もまた、同じ掣肘の中に本来あるはずなのだ。
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大前提、
忘れるわけにはいかない、
不可欠なものとして要求される、
とありますが、簡単な要求ではないとおもいます。
でも、それが出発点であり、大前提なわけですし、
これがズレたら、もはや医学ではないですからね。
原点の確認、というのは、何度してもしすぎることはないものです。