文芸春秋 季刊秋号
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ゼロからはじめる幸福論
死を超えて生きる
青木新門
人生最高の幸せとは、生涯を通じて安心して生きることである。
人は丸ごと認められると生きていける。今日の社会は丸ごと認める力がない。
こんな少年の詩がある。
ぼくは今日学校の帰りに
トンボをつかまえてきたら
お母さんがかわいそうだから
放してあげなさいと云った
ぼくはトンボを放してやった
それからぼくは台所へいくと
お母さんがほうきでゴキブリを
たたき殺していた
トンボもゴキブリも昆虫なのに
少年には丸ごと認める力がある。
しかしお母さんはヒューマニズム(=人間中心主義)が
身についていて、人間に都合のよいものは可哀そうだから放してあげなさいと云うが、
人間に都合の悪いものはたたき殺しても心に痛みも感じない。
ここにヒューマニズムの限界がある。
「この世で最大の不幸は、貧しさや病ではありません。
誰からも自分を必要とされていないと感じることです」
マザーテレサの言葉である。
そのマザーテレサが26年前の1984年に来日して帰国するとき、
「こんなに豊かでこんなに美しい国なのに、
日本人はどうしてこんなに暗い顔をして生きているのでしょう」
と言い残した。
当時暗い顔に見られた闇の部分が今日では社会現象となっている。
ひきこもり、無縁社会、自殺・他殺、孤独死などなど、
不安は一層闇を色濃くしている。
このことは<生>にのみ価値を認め、
<死>を忌むべき悪としてとらえ隠蔽して生きているからに他ならない。
どんなに笑顔を繕ってみても
老いは必ず訪れ、死は確実にやってくる。
その影に怯えながら人々は生きている。
人生を「生・老・病・死」の4つに分け、
避けがたい災難や苦しみや不安を「四苦」とみなし、
そんな苦しみや不安を超えて安心して生きる道を説いたのが仏教である。
仏教の目的は<安心して生きる>こと以外にない。
「何らかの方法で死の問題を解決した人の生き方は明るい」
とゲーテの箴言にある通り、
死の問題を解決した時、どんなことがあっても安心して明るく生きていけるようになる。
それ以上の幸せな人生はないだろう。
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死すべき存在であることを、丸ごと受け止める。
これを避けては通れないようです。
無常観とはこういうことでしょうか。
死を見つめようが、見つめまいが死んでいくわけですし、
眼を反らしたまま生きていても、虚しいだけですからね。
医療職は、避けられない現実を、
他人を通して知らされる、そういう意味で有り難い職業のように思えてきました。