なぜ生きる/明橋 大二
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無益な生涯だったと気づいたり、罪の山積に驚くのは、

 人生でもっとも悲惨な瞬間だ



退職して悠々自適、好きなことができると思っていたのに、

何をしたらよいか分からず、家でごろごろと無気力な人が、

多く見られるようになりました。


地面にビタッと貼りついて動かない「濡れ落ち葉」にたとえられますが、

ひどい人は「粗大ゴミ」と表現します。


居場所を失って、焦る人も少なくありません。



「先生、私には居場所がないのです。どうしたらいいでしょう」と、

研修の場で相談を持ちかけられることが多くなっています。


定年になって、会社を辞めてから一ヶ月もすると、

家にいても身の置き場がない、誠に哀れな状況になっているというのです。

なかには、定年退職した後も、以前と同じように、

毎朝会社に出勤する時間になると身支度を整えて出かけ、

公園かどこかで時間を潰し、夕方帰宅するという、

笑うに笑えない例もあるのです。


これこそ、仕事が人生そのものと思っていた人が、

会社以外に自分という存在を認識できなかった結果を物語っています。

          (佐藤英郎 『気づく人、気づかぬ人』)



「仕事は、人生の目的を達成する手段」と気づく人が、

若者を中心に増えていると、社員研修十五年の佐藤英朗氏は言います。


しかし実際は、「生きるための苦闘」は激しさを増すばかり。

どう生きるかに追われ、

「そんなにまでして生きるのはなぜか」を考える時間は、奪われているようです。


「人生の旅のなかば、正しい道を見失い、私は暗い森をさまよった」と書きだし、

ダンテは『神曲』をつづっています。


この世のウソに飽き飽きし一切にむなしさを覚えるときが、

どんな人にも訪れるのではないでしょうか。


無益な生涯だったと気づいたりゆるされぬ罪の山積に驚くのは、

人生でもっとも悲惨な瞬間でしょう。


多くの場合それは、、体力が目に見えて衰えてきたときに下される残酷な審判です。



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「居場所を失う」というのは、辛いですよね。


自分がいないとみんな大変だろうな、と、自分では思いますが、


いなければいないで、意外とうまく回る。


そういうことに気づいてしまった時の、なんともいえない虚しさとか。。。



介護施設とかに行くと、そういう方たちを目の当たりにするので、


人生ってなんなのかなぁ、と、ふと考えてしまう人は少なくないのではないでしょうか。



自分は大丈夫だろうと思いたいですが、


恐らくは、そう思っていた人たちが、居場所を失って、残酷な審判を下されているのだとおもうと、


決して他人ごとではありません。



患者さんのこころに寄りそうって、やはり、かなり大変そうです。











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