- 竜馬がゆく〈4〉 (文春文庫)/司馬 遼太郎
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片袖
竜馬は、新撰組巡察隊の先頭と、
あと五、六間とまできて、ひょいと首を左へねじむけた。
そこに、子猫がいる。
まだ生後三月ぐらいらしい。
軒下の日だまりに背をまるめて、ねむっているのである。
竜馬は、隊の前をゆうゆう横切ってその子猫を抱き上げたのである。
隊列の前を横切るものは斬ってもいいというのが、当時の常法である。
一瞬、新撰組の面々に怒気が走ったが、
当の大男の浪人は、顔の前まで子猫をだきあげ、
「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ」
とねずみ鳴きして猫をからかいながら、なんと隊の中央を横切りはじめた。
みな、気を呑まれた。
ぼう然としているまに、竜馬は子猫を頬ずりしながら、悠々通りぬけてしまった。
そのまま竜馬は西へ。
新撰組は、東へ。
「ね、そうでしょう」
と、まだ少年のにおいをのこした沖田総司は、土方歳三にいった。
「あれは斬れませんよ」
「変な男だな」
土方が、するどくふりかえったときは、
竜馬ははるか後方で、ちゅっ、ちゅっ、といいながら過ぎてゆく。
「驚きましたな」
と竜馬のそばにすり寄ってきたのは、安岡金馬と千屋寅之助だった。
「やつら、気が削がれたようですぜ」
「そういうものだ」
と竜馬はいった。
「ああいう場合によくないのは、気と気でぶつかることだ。
闘る・闘る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ」
「では、逃げればどうなるんです」
「同じことだ、闘る・逃げる、と積極、消極の差こそあれ、おなじ気だ。
この場合はむこうが無性やたらと迫ってくる。
人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。
ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない」
―――しかし。
と、いったのは新撰組の先頭をゆく土方歳三である。
「大胆な男だな」
「まあ、そうでしょうな」
と、沖田総司がうなずいた。
「しかしそれだけではない。
われわれの気を一瞬に融かして行ってしまった。
ごらんなさい。われわれの仲間の人相が、一変してしまっています。
みな、子供にでも寄りつかれそうに、なごやかな顔になってしまっている」
「ふむ」
「翻弄されたのですよ、われわれは」
「らしい」
土方歳三は、にがい顔でうなずいた。
(妙な男だ。
なにか容易ならぬ大事を企てているようでもあるし、
単に、猫好きの怠け者のようにもみえる)
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かっちょいいですね~、こういうの。
相手の「気を抜く」。
よほどの達人でないと到達できない域なんでしょうが、
患者さんの緊張をほぐす時とか、
こういうことができたら、と憧れます。
少しでも、
心に怯えや、後ろめたさ、恐怖があったら、
こうはなれないと思います。
医師としての理想のかたちが、また一つ増えました♪