21世紀への医療―これからの医師の条件/著者不明
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生命倫理と医療   柳田邦夫




医者の意識の中に悪意があるなら、ある意味で問題は簡単だと思います。


悪意を持って多くの薬を使い、虚偽の診療行為をし、

保険点数を稼ごうというのであれば、

厳しい規則を作って取り締まればいいわけですから。


しかし、問題を困難にしているのは、

悪意でなく善意で行っている研究や医療行為自体に、

効用と倫理的問題の両方が潜んでいることが少なくないという点です。


医者として患者の命を救わねばならないとか、

一日でも一時間でも長くいかさなければならないという使命感と善意は、

それはそれで大事なことなのですが、

そういう使命感も善意も決してオールマイティでない

免罪符ではないというところに問題の難しさがあると思います。


今日のような高度技術先行の時代において、

延命を善とする一元論的な考えで突っ走っていいのか。


善意の人に、ちょっと待てよと考え直してもらうとか

あるいは自分で納得してある行為をしないというのは非常に難しいですね。





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医療の使命、善意の前提にあるのは、


「医療を施すこと = 善いこと」

であり、


「命を延ばすこと、生きること = 善いこと」

です。


これが大前提であり、これを疑ったら、

医者を目指そうとは思えなくなってしまいますが、


柳田さんが言われるように、

この大前提も、「決してオールマイティではなく、免罪符にはならない」

ということを自覚することは大事なことだと思います。


この大前提が成り立つのは、

「生きる」ことが、必ず「幸せ」につながる、という更なる大前提があるからのはずです。


この大前提こそが、医療を支えているはずですが、

実はこれは、難しい問題であり、

「本当にそうなんだろうか?」というアンチテーゼが突き付けられていたりします。


自殺の問題や、

安楽死の問題が、その代表でしょうか。


命を延ばすこと、生きることそのものを否定するかのようなことが、

現実に起きており、

そして、それを強く止められずにいるのもまた、悲しいかな、現実です。


良かれと思ってやっていることを、

真っ向から否定するような人が現にいる。


これは、「生きること」が、必ずしも幸せにつながっていないからです。

そういうことが、ありうるから。



この辺を、よく考えておかないと、

極端にいえば、医療行為さえもが、善意の押しつけになりかねない、という

哀しいことになってしまう気がします。



そんなことがあっては残念すぎます。







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