- 生きて死ぬ私 (ちくま文庫)/茂木 健一郎
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すべり台
人生は、いつ地面に着くか分からない
すべり台を滑って行くようなものではないだろうか?
すべり台を滑りながら、周りに色々な風景が見えてくる。
その風景を眺めながら、私たちは、色々なことを考える。
そのまま滑って行ってしまえば、いつかは地面についてしまう。
地面に着けば、衝撃とともに、人生の終わり=「死」が待っている。
だけど、私たちには自分が滑り落ちていくのを止めることはできない。
時間の経過とともに、私たちはすべり台の終わりに近づいていく。
滑っている間、じっとしていてもつまらないので、
私たちは色々なポーズをとってみる。
ポーズをとりながらも、すべり台を滑って行くことには変わりがない。
すべり台の終わりがどこにあるか知っているもの(=神?)にとっては、
そのことも知らずに懸命にポーズをとっている私たちは、
滑稽な存在に見えることだろう。
私たちは、毎日どのようなポーズをとろうかと苦心している。
だが、どのようなポーズをとるかということよりも、
すべり台を滑って行くという事実の方が、
人生にとっては重要なのかもしれない。
哲学者の口にする、「人生とは、死に対する準備のようなものである」という言い方は、
このようなことを意味しているのであろう。
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かわいくても、滑って行くことには変わりない・・・。
すべり台、、、、深い。
滑り落ちていく恐ろしさは、
無意識のうちに、こういうことを連想される恐ろしさでもあるのでしょうか。