死を見つめる心 (講談社文庫 き 6-1)/岸本 英夫
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 我が生死観


   二つの立場



生死観を語る場合には、二つの立場がある。


第一の場合は生死観を語るにあたって、

自分自身にとっての問題はしばらく別として、

人間一般の死の問題について考えようとする立場である。


これは、いわば、一般的かつ観念的な生死観である。

もちろん、自分も人間であるから、

自分というものも、広い意味では、その中にはいっている。

このような生死観も有用である。


自分も含めた意味での人間の生死観の考え方を整理しておくことは、

いざという場合の基礎的な知識となるからである。



しかし、もっと切実な緊迫したもう一つの立場がある


それは、自分自身の心が

生命飢餓状態に置かれている場合の生死観である。


腹の底から突き上げてくるような生命に対する執着や、

心臓をもまで凍らせてしまうかと思われる死の脅威におびやかされて、

いてもたってもいられない状態におかれた場合の生死観である。


ギリギリの死の巌頭にたって、

必死でつかもうとする自分の生死観である。



この第二の立場の場合には、

第一の立場には含まれなかったもう一つのはげしい要素を加えている。


それは、人間が健康で生命に対する自信にみちて、

平安の日々の生活を営んでいる場合には、

まったく、思いもかけない要素である。


人間が、生命飢餓状態におかれた場合に表れてくる生命欲の激しさである。


生命欲は、生理心理的な一つの力である。

いつでも人間の心の底に潜んでいるに相違ない。

しかし、人間は、平生はそれをそのままでは感じない。

それがいざとなると、猛然と、その頭をもたげてくる。

そして、激しい生への執着となり、死に対する恐怖となって現れる。



この要素を加えると、人間の生死観は、

何か質的にも別個のものになったかと思われるほど、

第一の観念的な立場とは、ことなってくる。




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この二つの立場の違いは、


そのまま、医療者(健康な人)と、

患者さん(特に末期の)立場の違いでもある。




医療者の死生観と、患者さんの死生観は、

質的に別個のものと思われるほどに、かけ離れている、ということになる。



法律を作るのも、

治療方針を立てるのも、

生命倫理の決まりをつくるのも、

基本的には、前者の仕事。



この差を埋める努力こそが、

鍵を握るのは、間違いないと思います。








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