無痛文明論/森岡 正博
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「私の死」と無痛文明



本物の「私の死」は容易に発見できないけれども、

完全な次元にまで薄められた「死のイメージ」が、

あたり一面にあふれているような社会、

それが無痛化された社会だ。



本物の死を隠すために、偽物の死をばらまくのだ。


本物の「私の死」と「死の恐怖」を隠蔽しようとする文明こそが、

もっとも饒舌に、薄められた「死のイメージ」について語る



このような社会では、

本物の「私の死」について語ることは、

徹底して避けられなければならない。



語らざるを得ないときには、あくまでひそひそ声で、

他人には聴かれないようにして話さなければならない。


殺人、自殺、戦争、流血。

メディアにあふれるそれら「死のイメージ」の洪水からは

まったく切り離された、隠れた場所で、

ひそひそ声で本物の「私の死」についての会話がなされるという

倒錯した文明、それが無痛文明だ。



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遠回しな表現、婉曲的な言い方を好む日本人の言葉遣いに、


死のイメージを薄めて、和らげて、オブラートに包んでいる、


死を避けたい気持ちがよく表れている気がします。




もちろん、抜き身の刀のように、

誰もが嫌がる死について、傍若無人に語るのはどうかと思いますが、


けれども、極端に恐れ、本物を隠し、

偽物をばらまいて、わかったつもりになってしまっていては、

やはりしっぺ返しを食うことになります。



「無痛文明」とは、お見事な表現だと思いました。












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