- 竜馬がゆく〈2〉 (文春文庫)/司馬 遼太郎
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若者たち
「ここに、坂本くんがいる。君を坂本くんに紹介したい」
「御無用にねがいます」
これには、武市も竜馬もおどろいた。喧嘩腰ではないか。
「なぜだ」
「私は、剣術使いには興味はありませんよ」
「中岡君」
武市は、刀をひきよせた。
「先輩を侮辱すると、そのぶんにはおかぬぞ。第一私も剣術使いだ」
「武市先生はちがいます。剣を天下のことに生かそうとなさっています。
だからこそ敬慕しています。
が、先生のお隣りにいらっしゃる方は単なる剣客で、
いや失礼、事実ですから。
せっかく腰間に剣を帯びながらいま天下がどうなっているか、
われわれ若い者は何にむかって命を捧ぐべきか、
お考えになっているような御様子はない。
そういう方とは、慎太郎、お近づきねがう気がしません」
(おどろいたなあ)
竜馬は、正直、眼をまるくしている。
「中岡君」
武市は、刀をさげて立ちあがった。
「表へ出ろ。わしは自分の友人を侮辱されてだまっていられない」
「いや、拙者が」
とびあがるようにして立ったのは、例の岡田以蔵である。
足軽の身分だからさきほどから末座で小さくなっていたのだが、
竜馬を侮辱されてたまらなくなったのだろう。
さらにこの男は剣は武市の弟子である。
師匠の手をわずらわすより、自分がやる、と思ったのだろう。
「拙者がやります。中岡さん、表へ出ろ」
鯉口を切っている。さすがに後年、人斬り以蔵といわれたほどの男だ。
「いやこれは」
底ぬけに明るい声を出したのは、当の被害者の竜馬だった。
「参った」
と、竜馬は、素直に頭をさげた。
「中岡君、お前のいうとおりじゃ。
わしァ、学がないために何も知っちょらせん。
天下がどうなっちょるか、
その天下にむかって、お前のようにどう咆えたくったらよいか、何も知らん。
わずかに知っちょるのは、北辰一刀流の組太刀ぐらいのもんじゃ」
「・・・・・・」
一座が、シンとなっている。
竜馬が中岡の無礼をとがめて一刀で斬りすてるかと緊張していたのだが、
意外にも本気であやまっているのである。
「坂本さん」
これには、中岡のほうがうろたえた。
「わしァ、こういう性分です。
近頃、国の行く末を案じていると、夜もねむれん。
それじゃのにわが土佐藩の若者は、
せっかく江戸に出てきても遊興にうつつをぬかし、
端唄の一つも覚えて得意になり、
多少実直体な者は、剣術一本で、世を憂えようともせぬ。
つい、いらいらして、今夜のように腹中に酒が入ると、
血が鼻の奥までツンとのぼってきて、座にいたたまれなくなります」
すこし、酒乱の気があるらしい。
「いや、お前はえらい」
竜馬は、本気である。
「土佐安芸郡北川郷の山里の庄屋どんの家にうまれながら、
肝の上に天下を載せちょる。
酒に酔うても載せちょる。
わしもお前の心掛けに学ばにゃならんが、
なにぶん子供のときからの鈍根じゃ。
ボチボチやる。
世がわしを必要とするまでボチボチやる。
それまでは剣術ばかりをやっていても、怒らんでこらえてつかァされ」
「いや、酔いがさめました」
中岡は、竜馬の前にすわった。
「暴言、おわびします」
「ほう、あれが暴言か」
竜馬は、あくまで無邪気である。
「ほんとに暴言か」
「はい」
「これァ、おどろいた。
わしは、お前が真剣に忠告してくれたものと思うた。
それが暴言じゃったのか」
「しかし」
「いや、驚いた。
自分で暴言じゃとみとめたからこそ、あやまっているのじゃろう。
武士が吐く言葉には、一語といえども命を賭けるべきじゃ。
それをすぐ暴言じゃと自認したり、あやまったりするのは、
わしのような剣術つかいの性にはあわん」
「では、あやまりません」
「それでいい」
竜馬は杯を置いて、
「お前もいいたいことを言って気が晴れたじゃろう。
かわりに、わしにも気を晴らさせてくれるか」
「どうぞ」
竜馬はいきなり中岡の胸ぐらをつかんだ。
中岡はふりはなそうとするが、とほうもない馬鹿力だから、体が動かない。
「御免」
竜馬はコブシをかためるなり、力まかせに中岡の頬げたをなぐりつけた。
「あっ」
「気が晴れた。中岡君、飲もう」
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竜馬の器の大きさに、胸踊らされます。
自分はいったい、何をすべきなのか。
今は分からないけれども、つまらないことで終わりたくはない。
ゆくゆくは、大きなことをしてみせる、
という秘めたる気概が、
こういう大きな懐になるのかなぁ、と考えてみたりします。
自分には何ができるだろうか。
医学の勉強と、読書三昧の日々を、ボチボチ過ごしながら、
何かをしてみたいという、志は大切にしていきたいものです。