風塵抄〈2〉 (中公文庫)/司馬 遼太郎
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97  時



「いかがお過ごしですか」

 いいことばではないか。

 私たちも万物も時間に寄生している。
 時間は、宇宙のはじまる以前からある。宇宙の滅亡後もつづく。
 でありながら、時間は、それ自体として目にも見えず、手にもとれない。


 そのくせ、すべてを支配し、すべてに命令し、すべてを生殺与奪する。


 中学校の国語の先生になったつもりで、過ごす、についてのべたい。

 他動詞である。


火が消える、の消えるは自動詞で、火を消すとなると、他動詞になる。

日本語は、助詞の“を”という回転バネを置くだけで、自動詞がくるりと他動詞になる。


「いかがお過ごしですか」の“時を過ごす”という言い方は、じつに意味がふかい


 まず他動詞的な言いまわしだから、

ひょっとすると、明治後の日本語ではないかと思い、辞書をひくと、

すくなくとも十世紀にはすでに使用されていたことに驚かされる。


『蜻蛉日記』に、
「さて二三日もすごしつ」
とある。

また『源氏物語』の「若紫」にも、「かくてはいかですごし給はむ」とある。


英語にも、pass や spend をつかって、

一夜を過ごす、とか、退屈せずに時を過ごす、という言い方があるが、

日本語のようにあいさつことばにまで及ぶことは、ないのではないか。



「過ごしいい季節になりました」

と秋のはじめなど、日本語では手紙の冒頭に書く。


なにげない慣用句だが、じつに哲学的である。
考えようによっては、これ以上に宗教的な言いまわしもない。


真理としての人の生を、ただ一行で言いあらわし、

しかも見えざるものへの感謝がこめられている



(中略)



「日本人には宗教がない」
と、ときに外国人がいう。知日派の人のなかには、
「かつてはあったが、いまはない」
などという。


アラブ圏には素朴な人が多いから、宗教のない人を信用しない。

「ボク、無宗教デス」
と、日本の若い人などがなにげなくいうと、異星人を見たようにおどろく。


日本には隠然として、しかも厳として存在しつづける宗教がある。

日本語である。
すくなくとも、右の語法はそうである。



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司馬遼太郎さんは、日本語が大好きだったんだろうなぁ、と、

思いました。


「ひらがな」が多いのは、きっとその表れなんでしょうね。




日本語で、自分の心にかたちを与え、物事を考える私たちは、

確かに、「日本語」という「宗教」とも言える軸をもっているのかもしれません。


死生観、宗教観というものは、

他国からそのまま持ってきても、なんとなくなじめないものが多いのも、

言葉の違いからくるところも大きいのではないでしょうか。


日本人は、日本の言葉で、よく心を見つめなおす必要があるとおもいます。






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