竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)/司馬 遼太郎
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 二十歳



「ところで、頼みがある」
と竜馬はいった。


(中略)


「なに、簡単なことだ。私に、貴藩の陣地のことなどを教えてくださらんか」

「なんと?」
 小五郎はいよいよ驚き、
「私に、藩の秘密を明かせというのですか」

「早くいえばそうです。
 そうしてもらえれば私は歩きまわらなくて、大いにたすかる。
 どうせ大した陣地でもなさそうですな」

(よけいなお世話だ)
 思いながら、
「それは出来ませんな」

「そこを曲げてたのむのだ。

 土佐藩にしたところで自藩の品川防備を堅固にするための参考にするだけのことで、

 他意はない。結果としては、日本の為になることです」

(どうもこういう男はにが手だ)
 と思ったのは、口から出る言葉の一つ一つが人の意表をつくのだが、

そのくせ、どの言葉も詭弁のようにみえて浮華では決してない。

人をわなにかける言葉ではないのである。

 自分の腹のなかでちゃんと温もりのできた言葉だからで、

その言葉一つ一つが確信の入った重味がある。

だまって聞いていると、その言葉の群れが、

小五郎の耳から心にこころよいすわりで一つ一つ座ってゆくのである。

(これはとほうもない大人物かもしれぬ)
 と小五郎も思った。

 同じ言葉でも、他の者の口から出れば厭味にも胡乱(うろん)臭げにもきこえる。

ところがこの男の口から出ると、

言葉の一つ一つがまるで毛皮のつややかな小動物でも

一ぴき一ぴきとび出してくるようなふしぎな魅力がある。

 そのくせ雄弁ではない。

体全体がしゃべっているような訥弁(とつべん)で、

そのうえ、ひどい土佐なまりなのである。

(こういうのを人物というのかもしれない。

 おなじ内容の言葉をしゃべっても、その人物の口から出ると、

 まるで魅力のちがってしまうことがある。

 人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ)


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自分の言葉で語ること。

これは、意外に難しいことだと思います。


自分で本当に分かって言っている言葉、

腹の底から、考えたうえで練りだした一言、というのは、

頭を動かし続けていないと、出てこない気がします。



借り物の言葉では、人の心は動かせない。


まして、患者さんの心は。


特に、死に臨む人の心に向き合い、かける言葉に、

誤魔化しは効かないと思うし。


どれだけ、肚でこねくり回して、

自分の言葉が、自分の心に響くような、

そんな言葉を発することができたら、と思ったりします。






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