- 自殺について 他四篇 (岩波文庫)/ショウペンハウエル
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我々の真実の本質は
死によって破壊せられえないものである
という教説によせて
6
現在は両面をもっている、
――客観的な面と主観的な面である。
客観的な現在だけが時間の直観を形式として持っているのであり、
それ故にそれはとどまることなく進展してゆく。
それに反して主観的な現在は
不動のままにとどまっているのであり、
それ故にそれはいつも同一である。
ここからして、
とうに過ぎ去ったものについての
我々の生き生きした回想も生まれてくるのであり、
我々が我々の現存在のはかなさを知っているにもかかわらず
我々の不滅性についての意識をもっているのもまた
このためである。
よし我々が如何なるときに生きているにしろ、
いつでも我々は我々の意識とともに
時間の中心に立っているのであって、
決してその末端にあるのではない。
そこからして、誰でもが無限な時間全体の不動の中心を
自分自身のうちに担っているものであることが推量せられえよう。
これがまた結局は、
人間が絶えざる死の恐怖なしに、
その日その日を過ごしておられるような信頼を
人間に与えてくれるゆえんのものなのである。
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今は元気だし、少しくらい寝不足でも大丈夫だろう・・・。
と、夜更かしして、体調を崩したり、
これだけ信頼し合ってるんだから、
きっと、いつまでも仲良くしていける!
と思っていたら、いつの間にか・・・。
いつも、「今」が基準。
今の(いい)状態が、これからも続くだろうと、信じている。
いつまでも変わらないでほしいと、願っている。
相手の気持ちも、
自分の心も・・・。
そして、「今は」生きている。
まだ死んでない。
「今は」、という事実と、
「これまでも」、という経験からしか、判断できないために、
「人間は絶えざる死の恐怖なしに、
その日その日を過ごしておられる」
そういうことでしょうか。
けれども、同時に言えることがある。
常に、「今」を生きているからこそ、
死がやってくるのもまた、「今」、だというのもまた事実。
経験できないために、想像もできない現実。
誰にとっても、いついかなる時でも、
確実な未来である「死」は、
「今」の問題であるというのは、ちょっと想像できないし、
受け入れ難い。
しかし、否定できない事実でもある。
哲学者の言うことは、
小難しいけど、深みを感じます。