死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた/大津 秀一
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4 治療の意味を見失ってしまったこと



○「ただ生きること」が最上の目的なのか


医療は何のために存在するのであろうか。


それは病気を治し、人を健康にするためである。


しかし、世の中には残念ながら治らない病気がある。

そのときの治療とは何のためにあるのだろうか?


それは治らない病気の進行を可能な限り食い止めるところにある。

けれども、当たり前だが、ほぼ100%治らない病気を持つ人が

人生の目的の第一とすべきは、病の進行を止めることではないだろう。


当然、病の進行を止めることは、そのような患者さんにとって非常に重要である。
しかしそれは不可能なのである。


だったら、その気持ちに折り合いをつけて、

限られた生をより良く生きる方向へ向かわせなければ、

結局時間を浪費してしまうこととなる。



共感してくれる人も多いだろうが、

私は「ただ生きること」、それが唯一絶対の、最上のものとは思わない。


もちろん死期が迫れば、多くの人間は「ただ生きていること」、

その素晴らしさを悟るようになる。


けれども、ただ長生きすること、ただ健康であること、

それが人が生きる最高の「目的」とは思わない。


長生きや健康は、自分の夢や希望をかなえる「手段」であると思うのである。


誰しも死にたくない。


若ければなおさらのことである。


しかし、治らない病気の進行を食い止める治療の難しさは、

ときとしてその厳しさから、いつの間にか、

残された人生の大部分を治療が占めるようになってしまうところであろう。


特にがんの終末期の場合などは、

ある程度以上症状が進むと、

むしろ抗がん剤治療自体が命を縮めることになりかねない。



(中略)



ところが残念なことに、

一分一秒長く生きることに、一部の人はひきつけられてしまう。


その気持ちは理解できなくはないが、

その真摯な思いゆえにこそ、自分の命を縮め

真の治療の目的たる

家族や親しい人と過ごす時間が、

あるいは自分がしたいと願うことをする時間が、

奪われてしまっていることに気が付くべきだ。



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こんな話もある。




「旦那様、旦那様、起きてくださいませ。


   睡眠薬を飲む時間です」―――




目的手段がこんがらがってしまったこと、


目的を見失って、意味を考えずに、ただ機械的にやることをやっている人を


皮肉ったものです。




何のための医療か?


なぜ健康が大切なのか?


なんために生きるのか? 命を延ばすのか?



問いは尽きませんが、手遅れになってから後悔するのはイヤです。



どんなに健康で、どんなに長生きできても、


必ずぶち当たる壁。



ただ「生きるために生きる」のでは、堂々巡りで、


けむに巻かれたようで、イマイチ納得できませんし。


避けられない未来だからといって、


最期、死ぬために生きる人生なんてのも、ゴメンです。


(それこそ、睡眠薬を飲むために起きるのと一緒だし・・・)



「死にたくない!」という思いが強いがゆえに、


現実から目をそらしたり、逃避するようなことにならないようにしたいです。


必死で現実に向き合っている患者さんと、


正面から接することができるためにも。










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