- 爆笑問題のニッポンの教養 ヒトはなぜ死ぬのか? 生化学 (爆笑問題のニッポンの教養 5)/太田 光
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田中 僕はやっぱり死を、
もっと正面からとらえていった方がいいと思うんですよ。
ところが、僕らのネタなんかもそうなんですけど、
死をテーマにすると嫌がられたりしますし。
田沼 そうですね。
私も数年ぐらい前までは、NHKさんも含めてですが、
あまり死のことは出さないでくれ、と言われましたね。
最初は死を前面に出してくれというかそういう話があるんだけど、
いざ本番になると、死のことは避けてくれ、って言われるんですよ。
田中 どうしてもネガティブなイメージがあるんですね。
田沼 でもやはり、
この死の側に立って生きていることっていうのを考えると、
ものの見方が180度違ってくるし、
分からなかったものが見えてくるんじゃないかと思いますよね。
暗闇から光を見ればよくわかるけれど、
光の中で光を見ても見分けがつかないのと同じではないか、と。
私も最初は細胞がどうやって分裂するかとか、
生きていくことの方を研究していたのですが、
むしろ死というものの方から生きていることを見た方が
分かりやすいんじゃないかと考えたんです。
もちろん、科学的に考えてそう思ったのですが、
この発想は、科学以外のいろいろな分野でも、
同じように通用する真理じゃないかな、ということを、
さっき太田さんのお話をお伺いしていて思いました。
・・・
田沼 心の科学といったものが
やっぱり本質的に必要なんじゃないのかな、と思いました。
最近は、本当の意味での心の科学っていうのを
やらなくなってきているんですよね。
この21世紀に求められているんじゃないのかなとは思うんですけどね。
それもちゃんとサイエンスをベースにして、
「なぜ」という疑問をきちんと考えてみる必要がある。
それがやっぱり教養につながるんじゃないかと思うんですが。
・・・
生のあり様を抜きにしては、死など何の意味もないでしょう。
死は、私たちが必ず死ぬ存在であることを
教えるためにだけあるのだと思います。
死は前提として考えるものなのでしょう。
また、人間だけが
死に向かうはかなさを見つめる心を持っているのです。
死をもってわかることは、
宇宙の中の限りなく小さな自分と他者への愛でしょう。
そして、死があることによってはじめて、
生きるとは何か、
自分とは何か、
アイデンティティ(本分)を“問うことができる”のだと思います。
もう一つ大切なことは、かけがえのない一生に何か、
“問われていることがある”ことに気づくことです。
問われていることの核心は、
おそらく自分の価値であり、
本分を全うすることでしょう。
だから、未来に向かって生きなければならないのです。
どんな未来が待っているのかは、誰も知らないのです。
だからこそ、未来を見据えて、
そこに自分をおいて、
現在の自分を問うこと、
問われていることを内省してみることが大切なのだと思います。
死の遺伝子は、本分を全うするために、
自分なりにきちんと生きることに価値があるのだということを、
語ってくれているような気がします。
死から生を捉え直す。
ここに、確かな生を理解する大事なヒントが隠されているのだと思います。
そこから、これからの社会が求めている新しい生き方、
心と命を大切にする精神が生まれてくるのではないでしょうか。
田沼靖一(たぬま・せいいち)
(以上)
死の遺伝子といわれる「アポトーシス」。
そういえば、分子生物学の授業で教わりました。
アポトーシスが、こんな問題を含んでいたとは知りませんでした。
やはり第一人者は言うことが違いますね。
死を見つめることで気付く、
「生きるとはなにか」
「自分とはなにか」
という問い。
医療の現場では、なおのこと、
強烈に問われていることだと思います。
次回は、医療の現場の声を。