僕が医者を辞めない理由―ブラック・ジャック的おじさん!?になりたい/南淵 明宏
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医者になって知った一番すごいことは、

病気の理不尽さです。


何も悪いことをしていない人が突然病に襲われ、

仕事、自由、幸福、すべて失う。


にもかかわらず、

気丈に病魔と闘う患者さんという強尽な存在。

これには本当に恐れ入ります。


自分だったら絶対に負けてしまうでしょう。

私が重い病気になったら布団をかぶって一日泣いているでしょう。


(中略)


病院では期待に反して治療の末、

残念な結果に終わる患者さんもいます。


打ちひしがれた気持ちを心に秘めていても、

体は目の前の次の患者さんの手術に向かっていきます。


目の前に患者さんがいる限り、

私は医者を辞められないのです。

それは熱いヒューマニズムでもなく、

使命感でもありません。

それが私の日常だからです。



「僕が医者を辞めない理由」は

それが平常心(びょうじょうしん)だから、

なんて格好いいことを言いました。

目の前の患者を手術することが日常、昂ぶらず驕らず、

ということなのですが、

そうではない、ひょっとしたら邪悪な一面もあります。


それは医者を続けることで

「免罪符」を手にしたい、

という願望があるのかもしれません。


医者は人殺しです。


そうなろうと思わなくても、

患者は死んでしまうことがあります。


自分では、「俺のせいじゃない!」と言い聞かせる、

あるいは事実を曲げ、カルテを書き変えてまで

罪から逃れようとする医者の姿もあります。


この場合の罪とは、法的な罪ではなく、

人間としての罪、自分が自分に課した罪です。


でも結局は自分で自分を「裁いて」いるのですから

その罪からは逃れようがありません。


(中略)


医者になって、

治療の甲斐なく亡くなってしまう患者さんを目の前に、

医者の日常とは自分の無力さを思い知らされる

屈辱の日々だと知りました。


医者の日常とは、後悔と懺悔の連続です。


意識してかせずしてか、どちらにせよ、

おそらく世界中の医師が

こういった「罪」から逃れるための「あがき」がエネルギーとなり、

仕事をこなしていると思います。


これまでに亡くしてしまった患者さんへの

贖罪の意味を込めて、

言い訳として、

今日も手術を執刀する。


自分を止めてはならない、

ずっと回転させ続けなければならない、

という脅迫観念に支配されている自分

そんな哀れな自分が鏡の中の自分であるのかもしれません。



(以上)



医者になって知らされたという、

突然に襲いくる病気の理不尽さ、

「諸行無常」という、あまりに無情な現実、

それに対して、あまりに無力な人間、

そして医療の限界。。。


年間200例もの心臓手術をこなされるという、

驚異的な医師なればこその、

飾らないご意見なのだと思いました。


「人間として、自分は許されることをしているのか」

という問いは、

普通に生活していく中では、

ほとんどあり得ない無いことだと思います。


命に向き合って初めて、

ぶち当たる壁なのではないかと。


自分を深く見つめた時、

そこには、罪悪にまみれた自己との対面が待っている、

とも言われます。


見つめたくない自分、

理不尽な現実。


そこから、人は、

どんな希望を見出せばいいのか。


ひとは、何のために生きるんでしょうか。






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