医の本質と構造
-医にたずさわる人々に-
高山坦三 著 (札幌医科大学名誉教授), 1977
Ⅱ.病気を診断するとはどういうことであるか
1.問診 - 前歴
病人はある訴えをもって医師のもとにくる。
かれは自分の病苦について語る。
医師はこれを聴いて、質問する。
対話がふたりのあいだではじまる。
対話によって医師と患者という関係が始まる。
診察室が英語では Consulting Room,
独逸語で Sprechzimmer といわれるのは故なきに非ずである。
多くのばあい両者はもともとは未知の人間達であった。
がしかし今からのちは、
かれらは一つの道程を一緒に進まねばならない
--医師は教導者として、患者は教導される者として。
患者は医師を信頼し切っている。
かれは自己の羞恥心を克服し、
肉体的にも精神的にも赤裸々になる心になっている。
母や妻のような最も身近な者たちにも打ち明けない秘密をも、
かれは医師に告白する。
医師は当然全力を持ってその信頼にこたえるであろう。
患者ははじめから、
自分は間違いない医師の門を叩いたのである、
医師は自分をよく理解してくれる、
自分のための時間を割いてくれるのである、
自分の苦悩に真から関心をもってくれている、
という気持ちでいる。
そして医師もまた、患者によく理解してもらおうと努力する
--知識人には知識人に通用する言葉で、
教養少ない人にはそれなりに 理解できるように、
場合によっては、理解を助けるために方言を交えてさえも、そうする。
患者はおしなべて、むしろよくしゃべる。
それはこれまでは自分がただ独りで、その疾病について不安の重荷を負っていたが、
今ではその道の専門家に
自分の苦悩を語り、不安を打ち明けることが、
心の解放となり、
心の慰めとなるからである。
今では病気については自分より強い人がそこにいて、助けてくれる、
今では、その人が自分について考えてくれ、危険な症状か心配のない症候かを判断してくれる、
自分はただその指示に従っていればよいのである、と考える。
(引用、以上)
1977年の本ということもあり、
インフォームドコンセントとは反するかもしれませんが、
患者さんの心理を表す文章としては、とても勉強になると思います。
インフォームドコンセントは、これを踏まえた上で試みることであり、
上記の文章と対立するものではないとも思います。
患者さんに安心してもらうためであり、
医師が責任を逃れるためにあるものではないのは、
言うまでもありませんが、
自戒すべきことではあります。