【医は仁術なり】


よく言われる言葉ですが、「仁術」という意味がいまひとつピンとこないので、

調べて、考えてみました。


「真心」 「情け深さ」 「慈しみ」

「思いやり」 「やさしさ」 などの意味でしょうか。


患者さんの立場に立つ、

苦しみに向き合う、

「病気を診るのではなく、病人を診よ」

など、いろいろな表現で言われます。



このことについても、いろいろな角度から学んでいければと思います。


今回は、太宰治の言葉から学びたいと思います。




『私は「」といふ字を考へます。


これは優れるといふ字で、

優良可なんていふし、


優勝なんていふけど、


でも、もう一つ 読み方があるでせう?


優しいとも読みます。

さうして、この字をよく見ると、


偏に、ふると書いてゐます。

人を憂へる、人の淋しさ侘しさつらさに敏感な事、

これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら。』


   太宰治 (河盛好蔵にあてた手紙)




優しいという言葉は、


相手を傷つけない

気が利く


などの意味で使うことが多いような気がしますが、

これは何んとなく、消極的な意味合いが強い気がします。


相手のためを思って、敢えて距離を置くような、そんな優しさもあります。


けれども、太宰のいう優しさは、

もっと積極的な、そして勇気のいる優しさに感じます。


医療の現場で求められる優しさ、

それは、「患者さんの意見を尊重する」、という言葉を盾にして距離をおいてしまう優しさだけでなく、

病める人の心に寄り添い、人の憂いに向き合う強さを伴った優しさではないかと思うのです。


誰だって、他人の苦しみに近づきたくはありません。

自分も、居たたまれなくなってしまうから。

不安や悲しみは、周りに伝わってしまうといわれます。


そしてまた、病気で苦しむ人の憂いは、健常な人には分かりにくいものでしょう。

余命わずかと宣告された方の心境を、想像することはできないことかもしれません。


しかし、分からない、想像できないのは、

「できない」のではなくて、「したくない」だけなのかもしれません。


「自分が同じような立場になったとしたら」、なんて、

想像するのもつらい、と思っているから、

そもそも考えようともしていないのかもしれません。


そうだとしたら、

目の前で、独り苦しみに耐える患者さんの憂いを、

見て見ぬふりをしているんじゃないかと思うことがあります。


誰もが、何かを失った経験、以前はできていたけれどもできなくなってしまったことはあるはずです。

そして何より、すべての人が、限られた命を抱えて生きているのは同じです。

いまは健康な人も、病気の人も。


一人ひとりが、

生きることのせつなさや、

時折感じるむなしさ、悲しみから目をそらさずに、

よく考えてみることが、大切な気がします。


いたずらに暗く沈み、ネガティブになるのではなく、

本当の意味での笑顔になれるために。


そうすれば、

誰にも本心を分かってもらえず、寄り添ってもらえずに、独りで堪え忍び続ける、

そんな患者さんの寂しさに、優しさを持って接することができるのではないかと思うのです。


医療従事者が、(医学の知識や技術だけでなく)

「人の憂い」を学ぶことの意義は、大きいと思います。