近代科学は、心と体を明確に切断し
また現象を観察するものと観察される対象とに明確に切断する

この方法によって、観察された現象に関する普遍的な法則を見出し、
それを利用して対象を自分の望むように操作することが出来る。

そして、その結果が非常によく信頼できるので、
近代人は科学の進歩によって人間の望みが全て解決されたり、
人間の悩みがどんどん減少していったりする誤解するほどになった

 しかし現状を見ると事態はそうはなっていない。
科学の進歩によって、人間の悩みはますます多く、深くなってきているとさえ言える。

医療の領域にのみ限ってみても、問題は幾らでもある。

平均寿命が長くなるのは良いが、
多くの老人がいかに生きるか、そして、
いかに死ぬかの問題に悩んでいる。

近代医学は人間を延命させることに力を発揮するが、
延命された老人がいかに生きるかとか、
人間が死期を告げられたときそれをどう受け止めるか
いかに死ぬかなどの問題に対しては無力なのである。


 これは当然である。

近代科学は「私」という存在と現象を切り離して研究してきたのだが、
前述した問題は全て「私」という一人称にとっての問題である。

何も出来なくたった「私」は生きていていいのか。
「私の死とは何か」などのことは、近代科学の対象外のことである。
しかし、これらのことを不問にして「医療」は成立するだろうか

 医学の発展によって、身体や病気に関する知識が増え、検査の方法も精密になったので、
患者の病気によって、その死期を大体予想できるようになった。
癌で、あと三ヶ月ほどの命であることを患者に告げる。
このことは医学的に可能である。

しかし、それをその患者がどう受け止めるかについては医学は無関係である。
近代医学の性格からして、そんな事は関係のないことだから、
告知だけして後は宗教家にまかせることにする、というのも一つの考えである。


 しかし、その患者に対して医療関係者は常に接していかねばならない。
われわれは「無関係です」と言って接することが、
医療に携わるものとして当然のことと考えられるだろうか。

これからの日本」河合隼雄(潮出版社)



科学の進歩によって浮き彫りになっている問題ともいえるが、
「いかに生き、いかに死ぬか」という問題は、
何も最近になって登場したものではない。

人類の歴史とともにある課題である。

かといって、哲学や宗教を学ぶのも大変そうだが、
かつて、医学、哲学、宗教は、一つのものだった時代があった。

それは、本来一つの問題だからと言えなくもないからだろう。

死生観、人間学、生命観などが最近よく話題になるようになった。

避けては通れない問題ならばこそ、
医学生のうちに、これらについて少しでも学んでおきたいと思う。