医聖といえば、「ヒポクラテス」である。
「ヒポクラテスの誓い(The Oath of Hippocrates)」は、今も語り継がれている。

ヒポクラテスの時代は、病気の原因は恐らくほとんど分からず、
現代から見れば、医療らしい医療はできなかっただろう。

事実、ヒポクラテス医学は「楽天的な思想」といわれる。
「病気は身体を作る成分である体液の乱れからおこる。
 『体は、体液の乱れを正常にしようとする。
  それは内なる熱の働きであり、誤って混和した、あるいは生の体液をそれが調理する。』
 こうヒポクラテスは考えた」(医学の歴史


そして、全身、局所を問わず、発熱から化膿まで、すべてを治療効果のある過程とみた。
「自然治癒」にチャンスを与えることが医師の仕事としたそうである。


「ヒポクラテスにとって病気は単数diseaseだ。かれが扱った病人は、「急性病」が多かったが、
 それをかれは、つねに全身病として捉えていた。
 症例は違ってもそこには共通の病歴、共通する分利(熱が急に下がること)と予後(病後の経過)がある。
 その「病人」に対する一般病理学は「病名のない病理学」であった。

「たしかにヒポクラテス派は病名を知らなかった。
 しかし、そのために、かえって病名を越え、病む人そのものに肉薄することができた。
 それが「一般病理学」の精神として、長く引き継がれ、医学史の根底を流れ、伝えられてきたのである。(医学の歴史


科学とともに、医学発展が進み、ますます細分化され、専門性が深くなっている。
同時に、病める人の心が置き去りにされ、
病気・肉体だけが診断されるようになっているのではないかという批判は、少なくない。

医学が進展すること自体は素晴らしいことだ。
そして、医学技術の進歩と、人の心を大切にすることは、両立できるはずである。

医学の本来の目的を見失うことがなければ・・・。