医学部というところは、将来、医師あるいは医学者になることを目指しているものを教育し、これからの医療の担い手を育てる、教育機関としての大きな役割をもっていることは言うまでもないことである。そして、教育においてことに高等教育においては、学習者の自覚的な目的意識に基づいて進められることが重要であるということを考えると、医学部がそのような場であるということが、当然、そこで学ぶ主体者である学生に実感されているべきえある。
しかし、現状はどうであろうか?医学生は、本当に、「良い医師になりたい」と実感し、その気持ちを十分に生かしながら学んでいくことができているだろうか?
(中略)
新入生のころ
四月に入り、今年もまた、全国の医学部・医科大学で、約8000名が新しく医学生の仲間に加わった。私の母校である宮崎医科大学でも、入学式、オリエンテーションなど、大学、学生それぞれの用意した新入生歓迎行事も一段落つき、講義が始まっている。
今年、宮崎医大で行われる全国医学生ゼミナールの準備を進めている現地実行委員会では、2月終わりに行われた入学試験で、その宣伝も兼ねて受験生からアンケートを集めた。大学に入ってからどんなことがしたいか、医学や医療、そして、広く社会のことについてどんあ関心があるか、ということについて受験生からの答えが返ってきた。大学に入ったら先ず、
「勉強したい」
「医学だけでなく様々なことを学びたい」
「正規以外の自由な研究」
「部活」
「友人を作りたい」など。
医学・医療の中で関心のあるテーマとしては
「脳死」
「尊厳死」
「AIDS」
「がんの治療法」
「地域医療」
「救急医療」
「小児医学」
「プライマリケア」
「精神医学」
「東洋医学」
「老人医療」
「心身医学」
「終末期医療」など、積極的な答えが返ってきた。
近年、社会の医学・医療に対するニーズはますます複雑で高度なものになっており
国民の医学・医療に対する要求と関心は高まってきている。新聞に医学・医療関係の記事が載らない日はない。このような医学・医療の流れに対して自分がどのように関わっていくことになるのかを考える機会をもっており、医学・医療を学ぶ動機付けはより強くなってきているといえよう。このような中で、今年新入生から実際に聞かれた言葉はまさに、「『良い医者になりたい』というのは、みんな一致した目的」だ、というものだった。新入生にとってはごく当たり前な言葉かもしれないが、この言葉が私にはどれほど新鮮なものに聞こえたことか・・・。
入学後、どのような気持ちの変化を辿るか?
しかし、入学してきた後、このような気持ちを十分にいかして、大学生活を送っているかどうかを自分の経験も含めて見直してみると疑わしいものである。
もちろん、「よい医師・医学者になりたい」という目標を自覚してがんばっている学生もいることだろう。しかし、大多数の学生の気持ちを代弁するとしたら、どうなるだろうか?
現在の学生の気分、感情を知るための材料として参考にして頂きたいものがある。全国の医学部・医科大学の学生自治会が集まって作っている連合組織、全日本医学生自治会連合(医学連)は、今年三月、第10回を迎えた定期全国大会を開催した。この大会であげられた決議は、今の医学生の気分・感情に光を当て、それを率直に学生にも示し、大きな共感を学生に与えた。
決議では、入学してから卒業するまでに、学年が上がるごとに不安が大きくなっていく様子を、非常にリアルにとらえている。
まず入学してくる新入生が、医師・医学者になるという目標をもっており、そのために幅広い教養人間性を身につけたい、知識・技術を身につけたいという希望をもっていると述べる。
その入学時の気持ちが、どのように変化していくのか、決議から抜粋する。
「しかし、いざ大学に入ってみると
『医学部に入った実感が得られない』
『大学の講義がどう役立つのか分からない。何を学んでいくのか目的がもてない』
という声が多く出ます。」と、入学後、早くも教養の時代から、医師・医学者になりたいという目標が見えなくなってしまうと述べている。そして、その実態として、マスプロ講義中心の教授形式、カリキュラムの中に動機付けのプロセスが欠けていること、また、試験にふりまわされ、留年におびえて、のびのびと勉強できない、などといったことがあがっている。学費やテキスト代など経済面への不安、勉学施設の不満なども大きくのしかかっている。
さらに、このような不安は、上学年になるとどんな風に変わっていくのだろうか?決議は述べる。
「学年が上がると医学生の抱える不安は解決されるどころか、ますます深刻になります。臨床講義や実習が始まると
『各科の連携が取れていないため、講義内容に欠落があったり、順番が適切でないことがあり、分かりにくい』
そのうえ
『分からないことがあっても誰に聞いていいのかわからない』といった声が上がります」
として、教育内容が整理されていないうえに、教育体制も整っていない中で、学生の不安を更に大きくしてしまっていると訴えている。さらに、卒後に対する不安がそれに加わり、
「『大学に残っても、自分のやりたいことが出来そうにないがほかにいくところがない』・・」
などの声に代表されるように、研修内容の不備、自分のやってみたいことをやれる場所が見つからないという問題への不安が更にのしかかってくるのである。卒後の経済的保障の問題も深刻である。そして、そもそも卒後研修についての情報が十分に知らされていない不安になる、と述べている。
このような不安、不満を大きく募らせているにも関わらず、
「『周りの人とは、深い話が出来ない、出来る人がいない』」という声があり、ともに学ぶ仲間として、このような不安、不満を力を合わせて解決しようとする連帯感も生まれにくくなっている実情が述べられている。
以上、医学生の実情を示すものとして、医学連の決議から、少し長く抜粋いてきた。読まれる方によっては、大げさではないかと思われるかもしれないが、これは医学生の側から見れば、うなずくところが非常に多く、少しも大げさではない。医学連の大会でも、この決議は大きな共感をよんだのである。
「現代のエスプリ」 中野 治
しかし、現状はどうであろうか?医学生は、本当に、「良い医師になりたい」と実感し、その気持ちを十分に生かしながら学んでいくことができているだろうか?
(中略)
新入生のころ
四月に入り、今年もまた、全国の医学部・医科大学で、約8000名が新しく医学生の仲間に加わった。私の母校である宮崎医科大学でも、入学式、オリエンテーションなど、大学、学生それぞれの用意した新入生歓迎行事も一段落つき、講義が始まっている。
今年、宮崎医大で行われる全国医学生ゼミナールの準備を進めている現地実行委員会では、2月終わりに行われた入学試験で、その宣伝も兼ねて受験生からアンケートを集めた。大学に入ってからどんなことがしたいか、医学や医療、そして、広く社会のことについてどんあ関心があるか、ということについて受験生からの答えが返ってきた。大学に入ったら先ず、
「勉強したい」
「医学だけでなく様々なことを学びたい」
「正規以外の自由な研究」
「部活」
「友人を作りたい」など。
医学・医療の中で関心のあるテーマとしては
「脳死」
「尊厳死」
「AIDS」
「がんの治療法」
「地域医療」
「救急医療」
「小児医学」
「プライマリケア」
「精神医学」
「東洋医学」
「老人医療」
「心身医学」
「終末期医療」など、積極的な答えが返ってきた。
近年、社会の医学・医療に対するニーズはますます複雑で高度なものになっており
国民の医学・医療に対する要求と関心は高まってきている。新聞に医学・医療関係の記事が載らない日はない。このような医学・医療の流れに対して自分がどのように関わっていくことになるのかを考える機会をもっており、医学・医療を学ぶ動機付けはより強くなってきているといえよう。このような中で、今年新入生から実際に聞かれた言葉はまさに、「『良い医者になりたい』というのは、みんな一致した目的」だ、というものだった。新入生にとってはごく当たり前な言葉かもしれないが、この言葉が私にはどれほど新鮮なものに聞こえたことか・・・。
入学後、どのような気持ちの変化を辿るか?
しかし、入学してきた後、このような気持ちを十分にいかして、大学生活を送っているかどうかを自分の経験も含めて見直してみると疑わしいものである。
もちろん、「よい医師・医学者になりたい」という目標を自覚してがんばっている学生もいることだろう。しかし、大多数の学生の気持ちを代弁するとしたら、どうなるだろうか?
現在の学生の気分、感情を知るための材料として参考にして頂きたいものがある。全国の医学部・医科大学の学生自治会が集まって作っている連合組織、全日本医学生自治会連合(医学連)は、今年三月、第10回を迎えた定期全国大会を開催した。この大会であげられた決議は、今の医学生の気分・感情に光を当て、それを率直に学生にも示し、大きな共感を学生に与えた。
決議では、入学してから卒業するまでに、学年が上がるごとに不安が大きくなっていく様子を、非常にリアルにとらえている。
まず入学してくる新入生が、医師・医学者になるという目標をもっており、そのために幅広い教養人間性を身につけたい、知識・技術を身につけたいという希望をもっていると述べる。
その入学時の気持ちが、どのように変化していくのか、決議から抜粋する。
「しかし、いざ大学に入ってみると
『医学部に入った実感が得られない』
『大学の講義がどう役立つのか分からない。何を学んでいくのか目的がもてない』
という声が多く出ます。」と、入学後、早くも教養の時代から、医師・医学者になりたいという目標が見えなくなってしまうと述べている。そして、その実態として、マスプロ講義中心の教授形式、カリキュラムの中に動機付けのプロセスが欠けていること、また、試験にふりまわされ、留年におびえて、のびのびと勉強できない、などといったことがあがっている。学費やテキスト代など経済面への不安、勉学施設の不満なども大きくのしかかっている。
さらに、このような不安は、上学年になるとどんな風に変わっていくのだろうか?決議は述べる。
「学年が上がると医学生の抱える不安は解決されるどころか、ますます深刻になります。臨床講義や実習が始まると
『各科の連携が取れていないため、講義内容に欠落があったり、順番が適切でないことがあり、分かりにくい』
そのうえ
『分からないことがあっても誰に聞いていいのかわからない』といった声が上がります」
として、教育内容が整理されていないうえに、教育体制も整っていない中で、学生の不安を更に大きくしてしまっていると訴えている。さらに、卒後に対する不安がそれに加わり、
「『大学に残っても、自分のやりたいことが出来そうにないがほかにいくところがない』・・」
などの声に代表されるように、研修内容の不備、自分のやってみたいことをやれる場所が見つからないという問題への不安が更にのしかかってくるのである。卒後の経済的保障の問題も深刻である。そして、そもそも卒後研修についての情報が十分に知らされていない不安になる、と述べている。
このような不安、不満を大きく募らせているにも関わらず、
「『周りの人とは、深い話が出来ない、出来る人がいない』」という声があり、ともに学ぶ仲間として、このような不安、不満を力を合わせて解決しようとする連帯感も生まれにくくなっている実情が述べられている。
以上、医学生の実情を示すものとして、医学連の決議から、少し長く抜粋いてきた。読まれる方によっては、大げさではないかと思われるかもしれないが、これは医学生の側から見れば、うなずくところが非常に多く、少しも大げさではない。医学連の大会でも、この決議は大きな共感をよんだのである。
「現代のエスプリ」 中野 治