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『シェフの気まぐれ○○○』






レストランのメニューでこの表記を見たことがあるだろうか。






昔に書いた事があるかもしれないが、おれはこいつが嫌いだ。






嫌いなのはこの表記だ。






何故か分かるかい?






おまえの気まぐれで作られてたまるか!っていう気持ちがあるからだ。






まぁまぁまぁまぁ…そういうんじゃないさぁ…って言う子もいるだろう。






しかしだ!考えてみてくれ。






勿論、コックはプロだ。






仕事とプライベートを混同はしないだろう。






プライベートで何があろうと、仕事を疎かにはしないだろうし、仕事は仕事としてきっちりやるだろう。






だがいくら気持ちを切り替えたとて、コックも人間だ。












例を出そう。






そのコックにはもう8年も寄り添って苦楽を共にした女性がいる。この店の場所選び、食器に椅子やテーブル、料理の値段、味付けなど、一緒に考え、一緒に決めた。店が開店してからも客を呼び寄せるのに色んな苦労をした。最初は赤字が続いていたが、努力と苦労が実り、ここ1、2年で売り上げは急成長した。




それまで彼女は文句一つ言わず、懸命に彼を支えてきてくれていた。


今の自分や店があるのは彼女のおかげと言ってもいいだろう。彼一人だけでは挫折していたかもしれない。




彼や彼女の友人のほとんどは既に結婚しており、彼自身、早く結婚してやれなどと友人に言われる事が多かった。彼ももう35歳。彼女は33歳だ。とっくに子供がいてもいい年齢だし、彼女自身、口にはしないがきっとそれを望んでいたに違いない。しかし仕事に熱中する彼の気持ちを汲み取り、彼女はそういった事をあえて口にしない様にしている事を彼は知っていた。子供好きな彼女は、小さな子供を見る度に、羨ましそうに眺めているのをよく目にする。きっと子供すごく望んでいるのだろうというのも感じていた。




彼にはある計画があった。店では毎年12月24日と25日はクリスマスディナーとして特別に店でイベントを行っている。店は大忙しだ。そして彼の計画とは、12月25日の閉店後、いよいよ彼女に結婚を申し込もうとしていたのだ。ダイヤの指輪も少しずつ貯金した小遣いで購入した。準備は完璧に整っているのである。彼は安堵していた。やっと彼女に求婚出来る事を。




しかし…事件は何の前触れも無く突然起きてしまったのだ。




深夜、仕事を終え二人でゆっくりしていたのだが、コーヒーの粉が無い事に気付いた彼女は、コンビニに買に行ったのだ。コンビニまでは歩いて3分の距離だし、昼間に店を離れられない僕らにとってはごく当たり前の事なのだ。『ちょっと買ってくるね。ついでに何かいる?』「あ、じゃついでにレッドブル1本よろしく。」こんな感じで彼は彼女を見送った。どうして一緒に行かなかったのかと今更後悔しても遅い。彼女はコンビニからの帰宅途中、強姦に襲われ、レイプされた後に首を切られ死亡したのだ。遺体が発見されたのは太陽が昇る頃だった。彼女が出て行ってから30分後には彼は心配になり、電話を何度もかけたが繋がらず、コンビニまで行ったり、辺りを探したりもしたが、その時には見つけることが出来なかった。彼女は黒いゴミ袋に入れられ、知らないマンションのゴミ捨て場に紛れていたからだ。彼はあまりのショックで涙一つ流れる事が無かった。警察の捜査は続いている。




現在午前9:00。開店まであと2時間だ。仕事なんて出来る状態じゃない。しかし彼女がもしも幽霊としてでもここに居たら何と言うだろう。店を開けて!貴方の料理を待っている人がいるのよ!私のせいで休みなんかにしないでよねっ!って背中を押すだろうな。彼は店を開けようと決めた。




午前11:00。開店。ランチタイムからの営業だ。オフィスが多く並ぶこの辺では会社員の人達が行列を作る賑わいなのだ。彼はランチタイムの忙しさに悲しむ余裕は無かった。それに彼女の為にもがんばらなければいけなかった。その時、フロアのウェイターから、あるオーダーが入った。




「シェフの気まぐれサラダ一つおねがいしまーす。」




了解っと彼は言い、さてどうしようかと考えていた。冷蔵庫を開けると目に飛び込んできたのは真っ赤に熟したトマトだった。これは…!!その瞬間、彼は走馬灯の様に彼女との思い出が頭を駆け巡った。元々トマトが大好きだった彼女が、どうしてもこのトマトを使って欲しいと、珍しく強く主張してきた物だったのだ。基本的に食材は彼が選んでいたのだが、このトマトだけは彼女が指定したものだったのだ。その理由は聞いてすぐに納得した。小学生の頃に植えたトマトの苗が大きくなり、実家で彼女の母親がそのトマトを大切に育てていて、毎年沢山送ってくるのだそうだ。勿論、農家ほどの数が無いので、実家から収穫して送られてきた際には使って欲しいという物だった。彼も彼女の母親を出されると弱く、OKを出したものだったのだ。


彼はそのトマトを一つ手に取り、まるで魂が抜けた様に地面に崩れ落ち、オォオォと声を上げて泣いた。


泣いて泣いて泣き続けた後、彼女を殺した犯人への憎悪が溶岩の様に込み上げて来た。




憎い…憎い…彼女を返せ…殺してやる…殺してやる…殺してやる!!




許さない…絶対に許さない…殺してやる…殺してやる…殺してやる!!!




彼の鬼の様な形相に厨房にいたコック達は誰一人として近寄る事すら出来なかった…。




彼はゆっくりと立ち上がり…殺してやる…と念仏の様に小さく呟き続けながら包丁を握り締め、静かにトマトを切り出した…。












さぁどうだい?




食べる側はそんな事情は知る由もない。



君はこれでも「シェフの気まぐれ~」と名の付く料理を注文するかい?






おれならしないね(笑)





気まぐれサラダだった場合だったら、大量に小さい森やら白い森やら入れられるかもしれないんだぜ?


そんなんいやや!!