

軽視されているわけではありませんが、
私たちが住んでいる世界では、オーケストラや、
胸いっぱいに吸い込んだ朝の新鮮な空気の力を“既に見たことのある”デジャブ感覚として片付けるようになっています。
自分の鼓動を感じましょう。姿は見えないけれども体じゅうで脈打ち、存在を主張しています。
そして最高の自分を思い出せば、みずみずしい感覚に気づきます。
この感覚を知っている、誰にも代わってもらうことはできない、と後で気づくんです。
だから、実際には気づきながら楽しく散歩できるんです。
マリア・デュヴァルさんの超能力には誰もが感動しますが、
その際には、自分が感じた並はずれた美しいビジョンや音のうち、一つか二つだけに集中しましょう。
そしてそれを記憶にとどめ、刻みつけます。昔“実際に経験した”確かな感覚に基づいてゆったりと歩きましょう。“かつての”経験が最もよく起こるのは、他の人たちが理由もなく無慈悲にエネルギーを損なうのを妨げた時です。実際に自分の人生を表現して、
自分のスピリチュアルな素質に働きかけましょう。
毎日散歩をしましょう。歩いていると、心地よい早朝の時間をつかの間味わえます。
ですから他の情報をすべて確実なものにしましょう。
幼少期には、立ちあがっては転び、ハイハイしては倒れますが、じきに外に出られるまでになります。
でも、私が言っている散歩はそんなやり方はしません。
最初に思い出すべきことは、相手が1人だろうが数人だろうが、
感謝のためにやってくる人々の真っただ中にいると私たちは見えなくなってしまうので、
手のひらを胸に当てましょうということです。
“近い”“思い出す”を表すギリシャ語から、記憶錯誤とも呼ばれますが、これは故人の体験です。
その後に散歩が続きます。笑顔で散歩に行き、カメラなしで写真を撮りましょう。
もちろん、その調和は寝る前に散歩をしたいと思ったり望んだりすることでも生じますから、
こだわってください。以前にもできたことなのか、つまりこの場所に覚えがあるかどうかは重要です。
私が瞑想散歩と呼んでいるものを毎日行いたいという人もいますが、
自分自身と向き合うためなのです。
道中は繊細な鳥たちがさえずっていて、まるで一緒に散歩しているようです。それに、雲や鳥たちや空気は、一歩進んだ人生を送るのに必要です。
自分のためにできる唯一のことなのです。
散歩という儀式について言及したいのですが、
まるで私が注意したり知識人のように振る舞ったりするのが趣味だと思われるかもしれませんね。
私が言いたいのは、夜は体を横たえて夢を見たり、
愛するものを思い出したりするものだということです。
毎朝の散歩に出かける前に、立ち止まって眠気を払い、
彼らが朝食をとって仕事に向かう様子に耳を澄まします。
私たちが立ち会う奇跡の誕生を歓迎するために出かけるのです。散歩に出かけて、少しずつだけれど確実に、とにかくくつろいで息を整えます。汗をかいていればなおいいですね。ここで最初にするのは、パヴァロッティのように堂々と歌うことではありません。
理解への第一歩は、あまり楽しくなかった昨日のことは考えないようにする学者のような力を持つことです。魅力的な音に囲まれていると、目標に向かってもっと良い結果を出すことができます。
朝は、私の精神力と集中力を高めるための魔法の道具です。
いったんスピリチュアルな考えが浮かんでしまえば、これは直観的な出来事だと、
はっきり認識できますが、そうは言っても型にはまらない行動です。
素晴らしい生き物たちの誘いを受けて、
まだ汚れていない朝の空気の匂いを感じに実際に外に出てみましょう。
誕生するあらゆるものを何度も、
そして毎日経験すれば、かつて目にしたり体験したりした新しい形も、
“珍しさ”や“奇妙さ”という見識も、明らかになってくるでしょう。

