頭の骨は真っ白だった

こんにちは、よしまるです。

昨日、父のことを書いたのでその続きです。

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母が亡くなった後、わたしと弟は実家を出ることになりました。

 

サーフィンが好きだった弟は鎌倉でひとり暮らしを始め、わたしは祖母(母方の祖母です)と一緒に、古い一戸建てに移り住みました。なぜそうなったかというと、父と祖母は同居していながらも非常に折り合いが悪く(まあ赤の他人同士ですからね。無理もないです)、それまでは母が間に入ってなんとかやっていましたが、母がいなくなった後も同居を続けるというのはちょっと考えられない状況でした。

 

かといって高齢の祖母をひとりで住まわせることもできず台所仕事のあとでガスの火を消し忘れるなんてしょっちゅうでした。あぶないあぶない)、会社までの通勤時間が2時間近くかかる座間という町で暮らし続けることになったのです。まあ、住みやすい町ではありましたが。あ、あと昔拾った4匹の猫も一緒でした。

 

座間はどこからでも丹沢・箱根の山並みが望める町です

 

わたしと弟が実家を出ると告げると、父は、

「えええっ!?」

と、信じられないくらい驚いていました。

借金ばかりで貯金なんてまったくなかった父は、母がいなくなった後は子供たちにお金を援助してもらいながら暮らすつもりだったようです。その証拠に、母が亡くなってひまわり生命から死亡保険金が400万円ほど振り込まれると、すぐに会社を辞めて帰ってきましたからね。

 

アホです。本当にアホです。

 

その当時、父はまだ57歳でした。57歳からの残りの人生を400万円で暮らすつもりだったんでしょうか。多分、400万は借金の返済と自分の小遣いにして、生活費は子供たちに頼るつもりだったんでしょう。仕事はせずにずっと好きなお酒を飲み続け、いずれは年金で暮らすような生活設計を立てていたんじゃないでしょうか。

 

保険金で一生暮らすつもりだったのかなー。そりゃ、無理だよ……

 

いや、無理でしょう、それは。年金だけで暮らせるほどの金額が支給されるとも思えないですし……。

 

 

それから数年後のある土曜日、わたしの携帯電話に裁判所から電話がかかってきました。父がひとりで暮らしていた実家の鍵を開錠して立入りを行なうので、家族としてその場に立ち会ってほしいと言われました。

 

当日、裁判所の執行官、座間市役所の担当者さん(生活安全課の方だったかな)、鍵を開けるための鍵屋さんとともに実家に入ると、頭部が白骨化した父がうつぶせになって寝ていました。

 

その時の詳しい話は、また明日――。