再会した国会の、参議院での予算委員会の答弁を少しだけ見る機会があった。
先日衆議院で可決された“社会保障と税の一体改革”について、野党側からの追及に対し、与党席に居並ぶ、野田総理を始め、岡田副総理、安住財務大臣などの苦しい答弁が続いている。
いずれも、なぜ今消費税を増税しなければらないのか?の質問に対しての返答の歯切れがよくなく、国民を納得させる説得力に欠けるものとの印象を受けた。
ここにはいなかったが、枝野経済産業大臣、そして前原民主党政調会長を含めて、以前から将来の日本を背負って立つと言われた現民主党執行部である彼らに共通するのはいずれも “反小沢” の面々ということである。
彼らの答弁や今までの活動などを見ての感想であるが、小沢氏からしてみれば、まだまだ“小粒な政治家” ということであったのだろうと感じている。
故に、結局のところ、小沢氏に評価されない = “反小沢” になったのではないだろうか。
人には、自らの思想や力量に等しいほどのものを、他人にも要求する性質がある。
それが有能であればあるほど、そのレベルは高くなるものだ。
その視点からすれば、数々の経験を積んできた “大物” 小沢氏から見れば、現民主党執行部の彼らには物足りなさを感じていたに違いない。いわゆる “若輩” に見えているのだろう。
それを痛感させるほど、現国会の予算委員会での答弁には物足りなさを感じた。

人間は皆自分が一番有能だと思う生き物である。
よって、他人が自分より有能だとは思いたくないし、思えないのだ。
しかるに、自分より有能であると思われる人に対しては、本能的にその人を排除してしまうことに繋がることもある。
現民主党執行部の小沢氏に対する言動や思いは、それに相当するものであろう。
しかし、いくら自分が有能だと思っても他人が評価しなければ、それは架空のものにすぎない。
ここに挙げた民主党執行部の面々には、小沢氏が評価してくれないから疎外するのではなくて、むしろ低頭して、小沢氏の意見にもっと耳を傾けるべきであった。
それを怠り、自分たちの方が有能だ、古い体質の政治家は去れ!などとうぬぼれた結果が、今の民主党の体たらくを生んでしまったとも言えるだろう。

政治家小沢氏というのは、例えはよくないかもしれないが、いわば “原発” のような存在なのである。
つまり、効果的に付き合えば、他に類を見ないほどの有益をもたらすが、一歩踏み外せば “大惨事” を引き起こすほどの有毒性を持っているということである。
民主党にとって、一度は与党の座を獲得するなどの大躍進を遂げる成果を挙げてもらったが、今回大量に議員を引き連れて離党し、党を分裂させたのは、まさにその表れである。

ここに挙げた民主党執行部の面々は、いずれも、まだまだ、小沢氏の力量には及ばない政治家と言えるのであるから、同じ党にいて、もっと彼から学ぶべきことがあった筈だ。
残念ながら、自らの政治家としての力量を伸ばす絶好の機会を失ってしまったのである。
人生においては、師となりうる存在にはなかなか巡り会えるものではない。
菅前総理が、自らを戒める意味でお四国巡拝をしていたようだが、彼に倣い、現民主党執行部にも、謙虚に自らの未熟さを悟り、原点に還り、もっともっとよりよい政治家としての鍛錬に励むべきであろう。
恐らく、次回の総選挙で民主党は大敗することが予想される。
そうなったとしても、ここに挙げた議員たちは当選するであろうが、そのとき再び野党の立場になろうとも、今一度自分の政治家としての力量を省みて “捲土重来” となれるよう研鑽を積んでほしい。。
将来、今の自分たちのような若い政治家が目の前に現れたとき、今の小沢氏の気持ちが分かる筈だ。
人間、いくつになっても、自惚れることなく、他人から学ぶべきことは多々あるのである。
今後民主党の置かれる立場がどのようになろうとも、彼らは常にこのことを頭に入れておくべきと申し上げたい。