明けましておめでとうございます。
第四回
「非実在青少年アイドル」
オタク・カルチャー編
男性アイドルという枠内に該当するのは何も
実在の人間だけとは限りません。
古来の『源氏物語』の「光源氏」しかり、
『伊勢物語』の「在原業平」しかり、
人々は創作物上の架空の人物を
偶像視したり、愛でたりしていました
(要するに萌えていた)。
そのような文化の最先端にあるのが、
現在のオタク文化でしょう。
アニメなど(いわゆる「二次元」)の
架空のキャラクターへの耽溺ぶりは、
実在のアイドルを追いかける
アイドルファンと何ら変わりません。
それどころか、
原作マンガやアニメを楽しむだけでなく、
グッズを集めたり、
映画化されれば劇場に足を運び、
好きなキャラのBL本
(「同人誌」と呼ばれる、
ファンが勝手に作った二次創作漫画。
厳密に言うと原作者側の
著作権を侵害しているが、
多くは黙認されている。
好きな漫画・アニメの世界観やキャラクター
を流用しつつも、二次創作者独自の
妄想の物語を展開させ、
キャラクター同士の同性愛関係を
描いていることが多い)
をコミケで買い漁る、
なんなら自分で作って売る、
自分の脳内妄想の世界で
好きなキャラとの妄想恋愛ストーリーを
楽しむ(これを「ガチ恋」といいます)など
嗜み方は多岐に渡ります。
アイドルファンというと
どうしても世間からは冷たい目で
見られることが多いのが実情です。
誰にも迷惑を掛けていないのに、
自分は楽しくて仕方がないだけなのに、
「手の届かない存在を追いかけて
なんていないで、
もっと身近な人と恋愛しなよ?」とか
「婚期逃すよ?」などとクソバイス
(クソみたいなアドバイス©犬山紙子)
を受けてしまします。
憧憬の対象が架空のキャラクターともなると
「それってそもそも人ですらないじゃん
(血の通った、実在の現実世界の人物
ですらない、という意味)。」とか
「ただの紙に印刷された絵じゃん」などと
さらに強い迫害を受けてしまいます。
オタクの名誉のために言わせてもらうと、
現実の世界で実在の恋人との
恋愛を楽しみつつ、
創作物上の世界やキャラクターを愛でている
という方もたくさんいます。
キャラクターと自分の恋愛を妄想せず
(「自分だけのものにしたい」
とは思わずに)、
ただただ美しいもの・好きなものを
眺めていたいという理由で
創作物を楽しむオタクもいます。
それに、
「現実世界での恋愛」
=リアル・真実・
自分を成長させてくれるもの。
「架空妄想世界での恋愛」
=ファンタジー・虚構・恥ずかしいもの。
という二元論は一体誰が決めたのでしょうか。
現実の人間に恋しようが、
ホストに恋しようが、
アイドルに恋しようが、
架空のキャラに恋しようが、
恋愛なんてものは所詮どれも
ファンタジーであり、虚構であり、
恥ずかしいものです。
恋愛とは言ってしまえば
「自分の理想の異性像
(異性じゃなくてもいいけど)を、
相手に勝手に投影する行為」だと、
私は思います。
「私の恋人はこれこれこういう人で、
私だけがそんな彼を理解している」などと
思っていても、それが自分の
思い上がり・勘違いであったことは
破局の際に嫌というほど思い知らされます。
別れた後、友人に「彼があんな人だとは
思わなかった」と愚痴をこぼしますが、
最初から彼は「あんな人」だったんです。
自分が見ていなかっただけです。
まさに「LOVE IS BLIND(©西野カナ)」
あなたが愛していた「彼」は
実際のありのままの「彼」ではなく、
あなたの幻想と思い込みが投影された、
あなたの脳内にだけ存在する、
あなたが都合よくが作り出した、
虚構の「彼」です。
恥ずかしいもんです。
でも恋愛なんてそんなもんです。
誰だって恋愛中はそうです。
私だってそうです。
確かに、実在しない架空キャラよりも
実在するアイドルに、
アイドルよりも実際に
会ってお話ししてくれたり
一緒にデートしてくれたりするホストに、
ホストよりも金銭のやり取りなしで
自分と時間を過ごしてくれる彼氏に
恋愛した方が、リアル成分(現実味)
は濃くなっていきます。
ですがそんなものは
「『恋は盲目』のあまり、私は彼の
見たい部分しか見ていないのかもしれない」
という「メタ視線(自分を客観的に
見てみること)」の前では、
微々たる差でしかありません。
誰に恋しようが、大切なことは
「私の恋愛は、私が脳内で
都合よく作り出した
妄想ストーリーかもしれない」と
自分で自分を認識していることだと、
私は思います。
その認識を持たない限り、私達は
自分の幻想世界から抜け出せず
永遠に独り相撲をするはめになります。
と、熱く一席ぶってみたところで、
次回は画面の中で歌う踊る
非実在男性アイドルをご紹介します。
次回更新は来週月曜日を予定しています。