皆さま、お久しぶりです。

 

宇多田ヒカル

「光」(2002

シングル「光」より

作詞・作曲・ 編曲:宇多田ヒカル

 

宇多田ヒカル「光」

 

編曲は、宇多田作品などで

お馴染みの「河野圭」さんかと

思っていたら、まさかのご本人。

ヒッキーはホント音楽の分野において

なんでも出来ますね。

 

【君という光が私を見つける 真夜中に】

 

≪サウンド≫

●曲展開:

・サビ・Aメロ・Bメロ・サビ

・Aメロ・Bメロ・サビ

・大サビ・サビ・大サビ

 

●ジャンル:ポップス

 

考え中。

 

≪歌詞の意味私案≫

歌詞はコチラ

 

まぁ、簡単に一言でいうと、

この曲は「ヒッキー本人の結婚」の歌

と思われる。

 

 

結婚の報告をした2002年のブログエントリー

の直後には

[私は実生活から

歌詞を書く方じゃないから、

急に顕著な変化は

見られないと思うよ、歌詞にも。

だからあまり探っても無駄ヨ(笑)

歌詞は詩だからなあ、、、

現実と結び付けて聞くと、

楽しみ方が半減しちゃうぞ〜!]

と、ヒッキーよりのアドバイスがあるが、

いやいやいやいや、

宇多田ヒカルの歌詞は、

なかなか実生活に結びついていると

私は思う。

 

「[Automatic]~[First Love]の

シングルを聴くと、

私の恋の経過がバレバレ」

と、自分でも言ってたではないか。

まぁ、でも、歌詞の全てを実生活を

基に書いている、

なんてことはないのだろうし、

曲によっては実生活を

全く材料にせず作った歌詞もあるのだろう。

 

アドバイスに素直に従わなくて、

ヒカルパイセンにはほんと申し訳ないです。

でも、「歌詞と作者の実生活を結び付けて

考えた方が楽しい曲」というものもあると、

私は個人的には思うのです。

 

 

この曲の歌詞が

「宇多田ヒカルの実生活(結婚)」に

基づいているのかというのは、

さておくとしても、歌詞のテーマが

「結婚」「運命の相手との

パートナーシップ」

であることは、ほぼ間違いない

のではないかと私は睨んでいる。

 

【どんな時だって ずっと二人で

どんな時だって 側にいるから】

これはプロポーズの言葉だし、

【家族にも紹介するよ

きっとうまくいくよ】

とは、「結納」あるいは

「両親への挨拶回り」

を意味しているんだろう。

 

テーマを(個人的に勝手に)

定めたところで、

以下、歌詞をフレーズごとに追い、

意味を考えてみたい。

 

 

 

【どんな時だって たった一人で

運命忘れて 生きてきたのに

突然の光の中、目が覚める

真夜中に】

冒頭のサビ部分では、

「独りで生きてきて、これからも独りだと

思っていたヒロインが

「君」(=【運命】【(君という)光】)

に出会う瞬間」を描いているのだろう。

 

しかも【真夜中に】である。

【真夜中】という単語は

「ヒロインの深く苦しい孤独」を

イメージさせる。

 

暗い孤独の中で、

運命から背を向けるがごとく

眠り続けていたのに、

スポットライトが急に降り注いだように、

サーチライトにきつく照らされたように、

【君】という光に出逢った。

そのときヒロインが感じた絶大な眩しさが

鮮やかに想像できるフレーズとなっている。

 

 

 

【静かに出口に立って

暗闇に光を撃て】

この出口とは「何の出口」なのか。

今までいた、

「真夜中の暗さからの出口」に立って、

また目の前の暗闇に光を打つ。

今までずっと暗いところに居て、

これから入る先も暗闇。

 

普通の感覚・感性だと

君と出逢ったおかげで、

「闇の世界から光の世界へ進む」

と、しがちなところを、

君と出逢っても、

「目の前の未来は真っ暗。

だけど、【君という光】があるから、

闇の中でも進めるよ。」

とするのがヒッキーらしい。

要するに、安直じゃない。

 

 

 

【今時約束なんて

不安にさせるだけかな

願いを口にしたいだけさ

家族にも紹介するよ

きっとうまくいくよ】

この【約束】とは

「何の約束」なのか。

「何があっても、ずっと

二人一緒にいようね(=結婚)」

という誓いだろうか。

 

「イマドキ約束なんて流行らないよね」

と照れ隠しをしつつ、

それでも約束=結婚するために、

二人で【家族】に

挨拶・報告に行くのだろう。

家族にも(恐らく)祝福されて準備は万端。

これでもう、いつでも気分は大安吉日!!

いよいよ、上記に紹介した

「プロポーズ」のサビへ向かう。

 

 

 

【どんな時だって ずっと二人で

どんな時だって 側にいるから

君という光が私を見つける

真夜中に】

ここで今までの【光】の正体が

何だったのか、「光」=「君」であるという

説明がされている。

 

 

 

【うるさい通りに入って

運命の仮面をとれ】

【うるさい通り】が何を指すのか

しばらく考えたが分からなかった。

 

【運命の仮面】とは何なのか。

そもそも何を指しているのか。

「(運命が被っている)仮面」

なのか

「(私の運命の人が被っている)仮面」

なのか。

 

前者であるなら、

「勇気を出して、自分の運命が被っている

仮面を剥ぎ取り、自分の運命を

見定め知りなさい。」

という意味だろうし、

後者であるなら、

「自分の運命の人が誰なのか、

その仮面を剥がして

見てみなさい。」

という意味なのだろう。

 

 

またまた

「(自分が被っている)仮面」

という意味なら、

「勇気を出して、

大勢の人の中で(=うるさい通り)、

自分の素顔を曝け出しなさい。」

ということになるだろうか。

 

 

 

【先読みのし過ぎなんて

意味の無いことは止めて

今日はおいしい物を食べようよ

未来はずっと先だよ

僕にも分からない】

私が一番ヒッキーらしいなと思うのは、

ここのフレーズである。

今まで、【運命の仮面】だの、

【静かに出口に立って

暗闇に光を撃て】だの、

「抽象的」なフレーズを並べた後、

【今日はおいしい物を食べようよ】

である。

急に生活感が漂うこのフレーズに

ドキッとする。

「抽象的」⇔「具体的」

「なんか高尚・詩的」⇔「卑俗・生活感」

という落差を一つの曲の中で

あえて演出している(と思われる)のが

彼女の歌詞の特徴である。

 

そういえば、つんく♂さんの歌詞にも、

このような対比の演出はありますね。

「宇宙のどこにも見当たらないような

約束の口づけを原宿でしよう」

(モーニング娘。『Do it Now!』)

のように。ミクロ対マクロの対比です。

 

 

あと、ここで初めて【僕】

(=「【私】にとっての【光】」)の視点が

描かれる。

【私】と比べて【僕】は少々

楽観的で明るい性格なのかも

しれない。まさに【光】である。

 

 

 

【完成させないで もっと良くして

ワンシーンずつ撮って いけばいいから

君という光が私のシナリオ 映し出す】

この曲で一番可愛いなと思うフレーズは、

ここですね。

【私】はきっと

「アーティスト」を生業にしていて、

【君】はその「協力者」

「共同制作者」なんだと思う。

【私】が【完成させないで

もっと良くして】

と思うのは、ただ単にアーティストとしての

「作品をもっと良いものに仕上げたい」

というプロ意識・使命感からではなく、

「彼ともっと一緒にいたい。」

「完成させてしまったら

もう彼に会えなくなる」

という(乙女の)気持ちからなのだと思う。

 

いや別に、会おうと思えばいつでも

会えるんだけど、

「会うための、顔を合わせるための

口実」が、完成しちゃうと

なくなるんだろう。

そして【私】とは恐らくヒッキーのことで、

【君】とは恐らく紀里谷くんの

ことなのだろう。

もぉぉぉぉ~~~~、ヒッキーったら、

可愛いなぁぁぁ~~~。

(↑ウザい、そしてキモい)

 

筆者が急に乱心しておりますが、

もしかしたら、ここの意味は

私の妄想(上のヤツ)

のような意味ではないかもしれない

(絶対そうだろ)。

二人が作っているものは

「二人の人生」という名の作品であり、

【完成させないで もっと良くして】

というフレーズのは、

「少しでも長い間、

二人で一緒に暮らそうね」

という願いが込められている

のかもしれない。

こちらの意味とする方が

より切実さが感じられる。

 

 

 

【もっと話そうよ 目前の明日の事も

テレビ消して 私の事だけを見ていてよ】

大サビのフレーズ。

【先読みのし過ぎなんて

意味のないことはやめて】

という【僕】と

【明日の事も】【もっと話そうよ】

という【私】

 

「明日が不安」とかそういうことではなく、

「もっと私を見てほしい、

二人の話をしたい」

という思いから【私】は

誘いかけているのだろう。

 

【テレビ消して 私の事だけを見ていてよ】

には、もっとかまってほしい、

相手してほしいと「甘える気持ち」と

「独占欲」の両方を感じる。

ヒッキーの歌詞で、こういう感情が

描かれているのは珍しい気がする。

 

あっ、でも

【新しいお部屋で君はもう making love

Making Love』とか

【どんな子がall your time と all your days

独り占めしてるの? たまには違うものを】

One Night Magic』とかありましたわ。

 

テレビに夢中で私の話に対して

おざなりな「彼」と

真剣に話を聞いてほしい「私」

よくある男女の一コマで微笑ましい。

 

 

 

 

 

 

というわけで、

宇多田ヒカルの歌詞を個人的に

解釈してみたが、いかがだっただろうか。

彼女の歌詞は

奥行きがあり、解釈のしがいがある。

そして様々な解釈を受け手に許す、懐の深い

作品なのである。

(彼女個人の中では、「真意は一つ」と

決まっているらしいが)

 

何かイエス・キリストの説法

みたいなんですよね。

抽象的なことを言うから、みんなが

「それはどういう意味なんだろう」と

多くの人が、後の時代の人が

必死で考えるという。

 

 

 

『ULTRA BLUE』のアルバムに

「COLORS」を収録した理由

説明したときのように、彼女の予言通り、

彼女の歌を聴きたいと思う人は

半世紀後も必ず現れ、

そして私のように必死で

歌の意味を考えるのだろう。

本人が消えても、

彼女が残したものはずっと後世に残り、

人々に伝わっていく。

やはりヒッキーは偉大です。

 

 

(2017:07:20)