僕がインターネットでChange.orgというWebサービスでネット署名をしていることを聞いた友人が、「ヤマモトさん、有名でもお金持ちでもないのにそんな事をやっていいんですか?」と言ってきた。


「何をバカな」「君は何を言っているんだ?」と言ったのだが、実際日本国憲法では表現の自由とともに思想・信条の自由も保障され、言論の自由についても公共の福祉または名誉毀損にあたらなければOKといえる。


大の大人がそんな事も知らないのは恥ずかしさの極みだが、今東京都知事選で争っている小池都知事や蓮舫さんなら社会的発言をしていいし、正しいことになるのだろうか。


話を戻すと、このような経緯もあって、療養中の一個人の言論に正しさは無いのか?やTV等のメディアで知名度の高いインフルエンサーなる一群の人々なら言っていることが正しいか?という話になってくる。


答えを先に書くと、誰が発言しようが正しい答えは正しくて、間違った答えは間違っているということになりはしないだろうか。


例えば数学。高校の先生が解けない問題を生徒が解いたとして、解いたことには変わりはなく、答えは正しいことになる。これは当たり前の話だ。


哲学まで厳密ではないものの、ある論理的発言の答えが正しければ正しいし、間違っていれば間違い。考え方の正しさに有名無名も関係ないと言える。


例えば、古代ギリシャの哲学者ソクラテスとかプラトンも有名だったから現在でも本も読まれ研究されているわけではなく、ほぼ無名だった彼らの言説が正しいとされているから、古代ギリシャ哲学として残っているのだと思う。


また、フェルマーの最終定理という数学でも最も難しいと言われる未解決問題が解かれたが、これも高名な数学者が解こうが、一介の大学生が解こうが証明したことに変わりはない。


ということで、なにげにインフルエンサーの某米国大学准教授のN氏の優生思想的な老人誹謗発言も、彼が高学歴だから正しいと思い込むのではなく、その考え方が正しいかということを考えないといけない。あの考え方はナチス・ドイツのホロコーストと同じ理屈になるはずだし、彼の発言は危険だと思っている人も多いから、衆知を舐めてはいけない。


インフルエンサーも芸能人的な立場で好き放題な発言や出版を続けているが、視聴者も読者も馬鹿ではない。


結局、その発言が理屈に合わなかったり、現実的ではないと気がついた場合、潮が引くように彼らのファンも離れていくと思う。僕はライブドア事件の彼の発言が正しいとされてしまう理屈を信じられないタイプだ。


つまり、誰の考えだろうが正しい考えは正しく間違った考えは間違っている。それはロジックや現実との整合性によって判断されると思う。


さて、インフルエンサーは将来的に言説が残るような人物足り得るのだろうか?