がんばれ受験生

 

そろそろ、中学受験の結果が出そろい、

高校受験、大学受験本番の季節。

 

受験生の皆さん、頑張ってください。

ワイは応援してるぜよ!

 

ヘルマンヘッセ(*)の小説、「車輪の下 Beneath the Wheel」の中で

主人公のハンスのこんな言葉があります。

 

“If I’d known that,” he blurted out, “ I could have come in first.”
「もしそうとわかっていたら」彼は突然言った、「僕は一番になることができたのに」

(原文はドイツ語)

 

神童と呼ばれる主人公ハンスは神学校試験期間中に、同じ受験生たちの言動に惑わされ、

自信を失い、本来の実力を発揮できずに試験を終えます。

でも結果は2番の成績での合格。

その時のセリフです。

このときの“ I could have come in first.”

この言葉は
真剣に受験勉強に取り組んだ人なら、
ハンスの気持ちを理解できるではないかと思います。

(ちなみにこの文は仮定法過去完了ですね。

実際には現実にならなかった過去のことについて、

「もし〜だったら、〜だっただろうに」と仮定するときに使う表現です。)



 その後、栄冠を手に入れたハンスは希望に燃えて入学します。

周囲の期待に応えようとしてハンスは自分を犠牲にしてまで勉強に打ち込みます。

しかし、詰め込み主義の画一的な神学校教育に耐えられず、

再び自信を失い、反抗的になり家に帰されます。

そこでも適応する場を見出しえず、生活に疲れて死に至る破滅の物語です。

ハンスが生きる自信を失ったのは、

教育者がその学校の色に染まらない学生を排除しようとする圧力、

もうひとつは不適応を起こしたものに対する故郷の人たちの冷たい目でした。

この作品が発表されたのは1905年のことなので、今から100年以上前のことですが、

現代でも色あせない問題提起だと思います。

「車輪の下」はヘッセの自伝的小説と言われています。

なぜか日本では、ヘッセの代表作ではなく、この「車輪の下」が人気で、

推薦図書なんかになってたりするんですね。

酷評する人も少なからずいますが、内容は押さえておいても良い作品だと思います。

 

いまだ学歴偏重の日本において、自信を失い、

ハンスと同じような思いをしている人は

実はたくさんいて、共感を覚えるということかもしれません。

 

なぜハンスは有り余る才能を活かせず、やる気を失ってしまったのか?

現実にも、ハンスと同じく、やる気があっても、その才能を活かせず、

潰れてしまった人たちはたくさんいるでしょう。

 

ハンスのように潰れてしまう人たちがいる一方、

こういったプレッシャーにも屈しない、やる気を継続できる人たちもいます。

 

その違いはどこにあるのか?

どうすれば、不適応を起こさず、やる気を継続できるのか?

次回は、その方法論についてお話したいと思います。

 


 * ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse)

ドイツ生まれのスイスの作家。

主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者。

1946年、『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する