受験生の皆さん、頑張ってください。
ワイは応援してるぜよ!
受験ブログと銘打っているので、たまには勉強関連の話題を。
学習塾で指導していたころ、受験を突破できる人とできない人の違いが、
私は見分けることができました。
「ああ、彼、(彼女)は受かるな」と思った生徒は、たとえ難関の学校であっても、例外なく受かっていきましたね。
なぜわかったのか?ということですが、別に私に霊感があったというわけではありません。
それは成績では測れない、
普段の態度というか、オーラというか、心構えが違うということなのです。
ここで少し法律の話をしてみたいと思います。
大学時代、法律の勉強をしていたこともありまして、けっこう詳しかったりします。
さて、刑法43条には以下の規定があるんですね。
「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する」
*刑事政策説では、自らの意思で、任意に犯罪の遂行を中止した者に対して刑の必要的減免という「ほうび」を与えることによって犯罪の完成を防止しようとすると解します。
これをリスト(Franz Eduard von Lisztドイツの刑法学者)は、「後戻りのための黄金の橋」と呼んだのです。
*一般的な未遂の場合は「刑を減軽することができる」とあるだけで、軽減されることもあれば、されないこともあります。
これに対し、自己の意思により犯罪を中止したとき(「中止未遂」と呼ばれる)は、「刑を減軽しまたは免除する」なので、最低でも軽減、場合によっては免除されます。
なお、免除は有罪で無罪ではありません。ただ、刑に服さなくてすみます。
中止未遂を、一般の未遂よりも寛大に扱う理由については、「刑事政策説」と「法律説」の対立があります。
上記は刑事政策説の説明だけにとどめています。
私が大学時代、旧司法試験合格を目指していた友人が何人かいました。
旧司法試験受験生の間では「後戻りのための黄金の橋」というのは、比喩的に用いられていました。
当時、「留年」が2年をこえる(3年以上)になると「民間企業でまともなところは採用しない」という時代です。
公務員にも年齢制限があり、この機(後戻りのための黄金の橋)を逃すと単なるフリーター。
名だたる大学の猛者たちが果敢に挑戦して合格率2%。
有名大学卒で何年も受からない旧司法浪人生の話は、聞くも涙、語るも涙です。
当時、旧司法試験を15回、20回と受けても受からず人生を棒に振ってしまうような話は、よくありました。
(現行の司法試験はロースクール制度が導入され、3回しか受けられません。合格者数も増え、難易度は下がりました。)
「名もなき道を」という、
旧司法試験に20回落ち続けた男性(実在人物をモデルとする)の壮絶な人生の小説があったりします。
私の知る限りでも、50過ぎてまだ旧司法浪人生なんてひとはかなりの人数いたと思います。
そんな状況を知りつつ、普通に就職すれば、そこそこの生活が保障されているのにあえて旧司法試験に挑む。
大学卒業の機を逃すと、まともな企業は相手をしてくれず、終わりです。
このことを指して、「後戻りのための黄金の橋を叩き壊す」と表現していたのです。
私の友人のひとりは留年2年目で、かつ就職をする気が全くなくどこにも登録の類などしていなかったにもかかわらず、超大手企業のリクルーターの方から、個別一本釣りの接触をしてきて、何度も就職を促されていました。
ときはバブル時代というのも関係してるかもしれません。
しかし彼は、その黄金の橋を叩き壊し、合格して行きました。
難関の試験を突破できるか否かは、後がないと思う追いつめられた状況に自分を置けるかが、精神的に大きいし、
最後の最後で地力を発揮するということなのだと思います。
心構えの正体は、ある種のネガティブパワー、背水の陣、穴に火がついた状態ということです。
人間にはネガティブな状況を転換する力が本来備わっているのだと思います。
綺麗ごとで、受験突破を語る方もいらっしゃいますが、
多くの受験生は泥臭く勉強しているものです。