さて、前回の返信を頂いたものの、またも長文のため、返事が遅くなってしまいました>< お詫び申し上げつつ、こちらにも念のため、転記しておきます。いつか、きちんと鎧武記事を書く時のために…^^;


----------------以下、返信部分--------------------------------

大変お待たせ致しました(滝汗)
それでは、本当に遅ればせながらですが、お返事をば。

さて、まずは初期平成ライダーのヒーローへのアンチテーゼと鎧武への影響について。こちらは、概ねまとめて頂いた通りかと思います。作品個別については、比較記事が上がった折にでも、できたらまたコメント差し上げますかもです。
鎧武の怪人像については、個人的には、オーバーロードが実質後付けのテコ入れである点を留意すべきかと思っています。インタビューなど見ていると、元々は虚淵さんの頭の中にはなかった存在だと思うのです、オーバーロードは。元記事で挙げられているオーバーロードについてのクウガオマージュは、ああいったインベスの上位種を出すようなオーダーを受けて、「それならこのネタはいれるしかないよね?」といったニュアンスなのだと受け取っていました^^;

紘汰が対話志向である点は、私も好きですし、美点であると思うのですが、その点は、ヒーローもののエンタメ性(敵をスカッとぶちのめしてなんぼ)という点に関しては、ブレーキになりがちなんですよね。本当に対話しようと思うと、戦うことを放棄しなきゃになるので。インベスたちも犠牲者、と言うこともできますし、姿は異形となっても生きていることには変わりありませんし、だから紘汰が最後の決断で、(実質オマケにくらいの意味合いかも知れませんけど)インベスたちも連れていく形を取ったことは、個人的には凄く良い持っていき方だなぁと思いました。
自分がインベスや怪人、サガラ/ヘルヘイムに比較的寛容なのは、ウルトラシリーズも見てきたせいかもですね。ウルトラでは暴れても救済される怪獣や宇宙人も多いですし。そういえばまんまガイア理論的な扱いをされた地球から力をもらってウルトラマンになるウルトラマンガイアという作品もあります^^; あとヘルヘイムについては、戦極博士の説明でも「外来種」として「生物種」的な扱いをされたことがありましたね。鎧武はこういう細かな台詞に読み解くポイントがあるように感じていて、個人的には面白い一方、そういうところが微妙な人も多そうに思います。
しかし、紘汰が「サガラ絶対に許さねえ‼︎」で終わったらバッドエンド感を覚えてしまうのは私だけ…?^^; 紘汰は、「ユグドラシル絶対に許さねえ」から「ミッチを許す」に至るという側面でも成長していたようにも思います(劇場版で鎧武・闇となって黒化した時は、戒斗やミッチの態度を許さず見放す態度を取っていて、紘汰自身に殴られてましたね)。

555の手の平の灰と鎧武の初瀬ちゃんインベス周辺の比較、ごもっともと思います。ああいう面でははっきり言って、上手いとは言えないんですよね、鎧武。ただ、別の面からのフォローは可能かな、とも思っていて…でもこれは、詳細はブログ主さんの555鎧武比較記事を待ちたいと思います^^; ざっとしたところでは、たっくんを中核に1テーマを3話1エピソードかけてじっくり描き切った555と、紘汰戒斗ミッチその他までを並行しつつその他のテーマも並行しつつ1年の連続ドラマの流れの中で描こうとしていた鎧武、という比較はあるかと思いますが…またいずれ。

龍騎のネタは全くその通りで、私が鎧武を「やり過ぎ」と思うポイントはそこら辺ですね。初期平成ライダー各作品も、挑戦的でありつつも、ヒーローものとしての不文律や、作品作り・ストーリー作りのセオリーを、存外守っていたと思うんですよ。でも鎧武は、というか武部P作品は、その辺の不文律・セオリーさえも破壊して挑戦を仕掛けていってしまう。その点で、スリリングでありつつ、色々と危険な作品でもあったかと^^; どこかのシラタロス氏よりも(ライダー)世界の破壊者かも知れませんね、彼女は(笑)
一方で、オーズ辺りからの武部P作品は、その辺りの破壊的な挑戦と、スポンサーサイドのオーダー対処や視聴者目線への意識などの、バランス取りを目指して努力しているようにも思います。例えばゴーバスのロボ戦重視もスポンサー配慮の側面はあるでしょうし、バディロイドの存在や陣&Jの投入もハード路線に対する視聴者への配慮と言えるかと。
鎧武についても同様で、劇場版やコラボ回は、ヒーローものの不文律やエンタメ性に欠ける鎧武に、そういった要素をフォローする役割として、私はかなり好意的です(話の腰を折りまくりな点はホント困りましたけど!)。多人数ライダーやロックシード・アームズチェンジの数の多さも、スポンサーにとって悪くなかったからこそ、外伝でのセット販売や限定品展開に繋がってるんでしょうね。この辺りは、塚田Pライダーを踏まえつつ(あとキバの失敗を踏まえつつ^^;)武部Pが上手くやっているところだと思いますが、いかがでしょう?

鎧武と自己犠牲については…長くなってしまいますよ?^^;
ご指摘のような「戻ってこれる」点と「自分で認めなければ自己犠牲ではない」と言う点、ほぼ同意します。違ったまとめ方をすれば、始まりの男となった紘汰は、全ての解決の為に人間ではなくなってしまったものの、場所は宇宙の果てとはいえ、「本人の望んだ未来を歩んでいる、歩んでいける」んですよね。
クウガの五代雄介がみんなの笑顔の為に望まぬ暴力を振るい続け最後には涙さえ流したところから平成ライダーは始まっていますが、その後も、人々を守る為に死んだ龍騎の真司だったり、戦うことの罪を背負った555の巧であったり、特に初期は自己犠牲的なところが強いですよね。紘汰の決断に近いことをした剣の剣崎も、運命と永遠に戦い続けるという、悲愴感ある、逆に言えばネガティヴな形で、自らの未来を差し出していました(故に、小説版ブレイドではその重さに耐え切れず…といった描写が見られました)。
鎧武/紘汰の面白いところは、始まりの男となった=人間ではなくなったことで初めて、異星で理想世界を作るという、自分の(そして戒斗の)希望を叶える為の、ポジティブな人生が始まるという、ある種の逆転があるところと思います(まさに「ここからが俺たちのステージだ」な訳です)。
37話くらいで、紘汰・戒斗・舞でそれぞれの未来について語るシーンがありましたが、紘汰と戒斗の決戦は人類と自分自身(と舞)の未来を選ぶ戦いでもありました。戒斗の望む未来は彼自身の願うある種の理想を叶えつつも人類を犠牲にするものでしたが、紘汰は戒斗の理想を汲みつつ、自分自身を含めた皆を犠牲にしない形の未来を選んだ点で、自己犠牲を含む犠牲のあり方を問うてきた鎧武が辿り着くべくして着地した結論と思います(決戦の結果戒斗が死んでいますが、紘汰は自らが手を下したその犠牲を、仕方のないものと受け入れることもせず、さりとて折れてしまうでもなく、涙を流しながらそれでも前に進むという点で、徹底しているし、成長しているとも思います)。あの決着を描く為にそれまでの積み上げを構築したという感じで、虚淵さんのスタイルが伺えますね。

さて、武部P作品についてですが、まずテンプレの件は誠に恐れ入ります(汗)まあでも「(カレーショップに来て)闇鍋なんて食べたくない!」て人ももちろん多いでしょうから、あまりフォローになってないんですけどねアレ(苦笑)
で、「武部Pが悪い!」って件ですが、まあ否定はできません(汗)ただ、私が思うに、アレらは視聴者に対して不親切なのを分かった上で、あえてやっているんだと思うんですよ。そうでないと描けない地平を描きたいんじゃないかと。
またも長くなりますが、例えば、剣の前半がダメなのって、軸が無いんですよ。3人のライダーがそれぞれ並列的に描かれていて、誰も中心軸になれていない。だからどういう話でどこに進んでるのかぐちゃぐちゃなんです。剣崎は一応主人公ですけど、組織崩壊やら先輩の不穏な行動やら謎のライダーやらで全く自分のスタンスを作れていない、描けていない状態で、その状態で橘さんの迷走や始の謎めいたポジションや追加で登場する睦月なんかを描かないとなので、それはぐちゃぐちゃになって当然なんです。
でも、それを整理するのは、たぶん、そこまでは難しくはない。後半で會川さんがやったように、剣崎のポジションをはっきりさせて、しっかり主人公・ヒーローをやらせればいいんです。その上で、それに繋いでいく形で、橘さん・始・睦月の話を組んでいけば、きちんと整理される訳です。555では、巧を中心軸にすることで、それがちゃんとできてるんですよね。むしろセオリー通りですらあると思います。
で、それをしなかったのは、たぶん、各ライダーを本当に並列して描きたかったんじゃないかと思うんですよ。主に武部Pが(汗) 前作との差別化みたいなところで(汗) 555も群像劇で巧たちや木場たちや流星塾生らのドラマが並行して描かれてましたけど、それは中心軸として巧がちゃんといたからなんですよね。その中心軸を外して、各話で同時並列的に描いてしまうと、剣の序盤みたいになってしまうんではないかと。でも、そうしないと、結局中心軸がいて、他の人物像たちとは主と従の関係になってしまって、本当に並列して描いたとは言えない、とも言えるんですよ(汗…でも実際、剣の後半では、橘さんと睦月は、やっぱり脇のキャラになってるんですよね、剣崎と始の物語の重さに対しては)。 その辺を、武部Pは拘っちゃってるんじゃないかと思ってるんです。
キバも同じで、指摘されたようなわかりやすくするための処理は、いくらでもできたんだと思うんですよ(敏樹御大も付いてますしね)。でも、それをやらなかったのは、結局過去が現代に従属する形になるからで、それは、「親子二世代の物語を同時並行」したことにはならないんですよ、たぶん(汗) カレーの例で言えば、「ミミズの味と食感が味わえなければミミズカレーではない!」というか(いや、剣もキバもオーズもゴーバスも鎧武も、ミミズカレーほどは酷くないと思いますが!)
だからある意味では、某シラタロス氏よりも、よっぽど頭がおかしいと思いますよ、武部Pは。断言しますけど(苦笑) 彼女は頭がおかしい。でなければ、闇鍋カレーなんぞ作らんでしょう(笑)
鎧武も同様に、色んな要素やテーマや登場人物たちを盛り合わせて並列的に消化しようとしていた作品だと思いますが、そこで紘汰の成長物語としての筋を通そうとした虚淵さんの存在があったからこそ、様々な変化がありつつも、比較的順調に進みつつ、予定通りに着地できたのかな、と思います。

今回の鎧武記事の意図、承知しました。確かに、あのサイトは、語り口こそ褒められたものではないと感じましたが、やはり同時に、決してちゃんと見ていない訳ではなく、批判内容を否定できないとも、私も感じたんですよね。私自身も鎧武記事が書けなかったのはその辺りで、思うところはあれど、それを筋が通った形で、アンチの人にも理屈はわかってもらえるような形で、きちんと語ることが難しかったからなんです。だから、お気持ちは凄く共感します。…ホント、褒めるだけだと信者扱いされそうですしねぇ(汗)
ブログ主さんのスタイルは、批判する時には悪し様な語り方なようでいて、一方でそれぞれの作品やファンにもきちんと配慮を巡らした語り口のように感じています(だからこそ、批判記事は多くとも、好意的な方が多いのではないでしょうか?)。それ故の、「まずは徹底的に叩く!」と思いますので、重ね重ねながら、次回の記事をお待ちしています。
本当に長い文章で、申し訳ありませんでした!